八木ヶ谷妙子さん追悼/ 長谷川英憲

 八木ヶ谷妙子さんが1月2日、逝去されました(享年99歳)。

八木ヶ谷妙子 NPO法人「共に生きる国際交流と福祉の家(通称「もくれんの家」)理事長(杉並区阿佐ヶ谷北)、介護と福祉を要求する杉並住民の会・元代表。                                                                  

1月11日、杉並区堀ノ内斎場でしめやかに葬儀が行われました。都政を革新する会・代表で介護と福祉を要求する杉並住民の会・事務局長の長谷川英憲が、地域住民を代表してお別れの辞を述べさていただきました。

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   ご紹介いただきました長谷川です。杉並で議員としてあるいは一住民として活動してきました。そしてこの20年くらいは人生の大先輩である八木ヶ谷さんにいろいろと教えられたり導かれたりしてきたと思っています。

八木ヶ谷さんから折に触れお聞きする話から、私は、八木ヶ谷さんの人生の原点とも言うべき事柄が3つあるのではと思ってきました。

 一つは関東大震災のときに体験した朝鮮人虐殺の目撃です。当時10才の少女だった八木ヶ谷さんにとってこの体験は、生涯を通じて抱えていかなければならない大きな出来事だったと思います。
 二つは、教師として初めて赴任したのが中国だったと言うことです。日本人子弟を教育する学校です。日本の侵略戦争の一翼を担ってしまったという強い自覚と自責の思いです。
 三つは幼い子どももたちの教師だったということです。

八木ヶ谷さん自身の言葉をご紹介して私が感じたことを皆さんにお伝え出きればと思います。

①『生きることはよろこびです。私たちはこのよろこびをはばむものとたたかいます。よろこびが大きければ、悪魔の影は薄らぎます。悪魔がはびこるのは、よろこびが弱くなるからです。』 『わたしたちは天の童子です。生きとし生けるもの、天の童子に天の童女』
これは、「もくれん」という国際連帯と福祉を課題としている団体(八木ヶ谷さんはこの団体の理事長ですが)その機関紙に寄せた八木ヶ谷さんの詩の一節です。

②『90才を越えました。完熟トマトです。憲法があるから高齢が尊いのではない。これまで生きてきた長い歴史があるから尊いのです。』
 これは「介護と福祉を要求する杉並住民の会」(八木ヶ谷さんがお元気なころ10年近く代表をつとめて下さいました)の総会で話された言葉です。

③「お変わりありませんか」と聞かれます。私はいつも「お変わりありますよ」と言います。日々進化し変化しているんです。生命とはそういうものです。
 これも住民の会の総会で話された言葉です。

◆命の尊さ、すばらしさ、高齢であっても若くてもそれは変わらないという信念、命をないがしろにした15年にわたる侵略戦争。アジアの特に朝鮮・韓国、中国の人々への深い思い、これは八木ヶ谷さんの生涯をつらぬいていました。

  八木ヶ谷さん 本当に長いことありがとうございました。これからも天上から私たちを見守ってください。

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