7・30 杉並区の放射能シンポジュームへの抗議行動
- 8月25日午後、北島邦彦前杉並区議を先頭に、東京西部ユニオンや地域で「反原発」を闘うグループで、7/30に杉並区が主催した「放射能を正しく認識するために」と銘打ったシンポジウムについて、その許しがたい安全キャンペーンの内容に抗議すべく杉並区危機管理対策課への申し入れ行動をやりました。今回の申し入れは、北島前区議が事務局を担う「反原発1千万署名運動・東京西部」として行いました。
以下、申入書をアップします。
2011年8月25日
杉並区長 田中良 様
反原発1千万署名運動・東京西部
杉並区天沼2-3-7-3B
抗議の申し入れ
- 7月30日に杉並区主催で開かれた「放射線に関するシンポジウム」は、学者・医師という「専門家の権威」を利用して、収束どころか今なお拡大する福島原発事故による放射能汚染・被曝の危険を隠蔽することに終始し、区民に一方的に「安心」を押しつけるキャンペーンそのものでした。杉並区が自治体として、原発対応に右往左往している菅政権のお先棒を担いだのです。絶対に許すことはできません。怒りを込めて抗議します。
専門家は「放射能を受けないことに必死になって、別のことで死んだらしょうがない。ストレスは強力なリスク要因」「(原爆のように)1回で放射線を浴びるより、分散して浴びる方がリスクが低くなります」などと、福島原発事故による放射能の影響を意図的に隠しています。会場から出された「福島の事故のことを何も言っていないじゃないか」という質問には、「わからないんです」と答えている無責任さは何事か。福島原発事故とは無関係に語られる「安心」とは何なのですか。杉並区による放射線測定の結果は、こうした無責任な「専門家」の話を裏づけるために集められた材料でしかありません。
福島で被曝した「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」世話人である佐藤幸子さんは、現地で放射能への不安や危険を口にすることは、福島を貶める行為として「非国民」と言われ「村八分」にされると訴えています。区が開催した7月30日のシンポジウムは、放射能の脅威にさらされながら口を封じられつつある福島の人たちの叫びを抹殺するもの、福島の人々を見殺しにするものです。まったく許せません。
現在杉並区が行なっている学校や保育園での放射線測定についても、根本的な問題があります。一般的に放射線測定をして、いわゆる「基準値」を超えていないから安全とする姿勢は容認できません。福島原発事故が継続している現在、まず「被曝している」という前提から問題を立てることが求められています。①「不安解消」ではなく、放射能汚染のあらゆる可能性を調査・点検・測定すること。②国・東京電力と対決し、すべての放射能被害を補償させるという自治体としての立場を確立すること。③そのために必要な職員体制を構築すること。これらの項目は、すぐに実現しなければならない最低限の要求です。 - 自治体として大変な課題を背負っています。放射線測定ひとつとっても、どこまでやっても「終わり」ということはありません。それほどのツケを福島原発事故はもたらしたのです。これらの作業に膨大な人員・予算が必要であっても、杉並区には全力でそれを果たす責務があります。7月30日の放射能シンポジウムによって、こうした杉並区が果たさなければならない責務に背反し、放射能被曝の容認や放射能との共存をキャンペーンする先頭に立つとは何事ですか。まったく許しがたいことでした。
なおかつ、区民の放射能に対する不安や危機感を払拭することは到底できません。そしてその脅威からは、これから先何十年も生きているかぎり逃れることはできないのです。放射能被曝・放射能汚染の元凶であるすべての原発をいますぐなくすことが必要です。杉並区が自治体として原発絶対反対の立場を鮮明にし、区民と共にすべての原発をいますぐなくすための行動をとることを求めます。そもそも原発は、資本の利益と核武装のためには労働者人民はどうなってもよいという新自由主義の権化のような存在です。原発増設は国鉄分割・民営化によって突破口がつくられ、労働者の非正規化と事業の外注化が極限的にまで進められた産業構造となっています。自治体が民営化・外注化と労働者の非正規化をやめることこそ、自治体として原発絶対反対の姿勢を貫く第一歩です。
以上のように考えるならば、9月2日に予定されている南相馬市長を招いた講演会は、このままでは南相馬支援をもって杉並区と区民の果たすべき役割をごまかすものになることは明白です。原発推進の田中区政の正体を隠蔽するものであり、原発事故の被害で避難・疎開をはじめとする筆舌に尽くしがたい苦難を強いられながら必死に生きぬいている南相馬市民に対する愚弄です。この講演会において、原発絶対反対の杉並区としての見解を表明せよ。福島原発事故が継続する状況で、杉並区の自治体としての責務を曖昧にすることは絶対に許せません。原発絶対反対の施策をこの杉並の地から始めていくことこそ、南相馬をはじめとする原発事故被災地の人々の苦難に応える途だと確信します。
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