3・1ビキニデー 原発いらない杉並集会 440名の結集で大成功

 3月1日、セシオン杉並大ホールは、ビキニ水爆実験・被ばくから59年「原発いらない杉並集会」は、参加した440名の熱気であふれかえりました。

 1954年3月1日のアメリカによる太平洋ビキニ環礁での水爆実験によるマーシャル諸島住民や操業中の約1000隻の漁船の大規模な被曝、とりわけ、第五福竜丸によって明らかにされた水爆実験の被害は日本をはじめ全世界に衝撃を与えた。杉並から始まった原水禁署名運動は8・6ヒロシマー8・9ナガサキとむすび大きな反核運動となった。一方、「毒(核)をもって毒(反核運動)を制す」と日米政府や財界・マスコミによって原発は推進され、ついに3・11フクシマに行き着いてしまった。この歴史を忘れまい、くり返すまい、これがこの集会の目的だ。

 集会冒頭、「原発はこうして導入された」(DVD)が上映され、続いて8・6広島-8・9長崎反戦反核全国統一実行委員会の三角忠さんが開会の挨拶をおこなった。
DSC_0023 さらに、大石又七さん(第五福竜丸元乗り組み員)への山本太郎さんによるインタビュー(DVD)が上映された。大石又七さんはビキニ被爆による様々な病をおして、ビキニ事件を隠蔽してきた日米政府を弾劾し続けている。昨年12月杉並から総選挙に立候補し、7万の熱い支持をうけた山本太郎さんがインタビューしたものだ。大石さんは、被爆の悲しみ、日米政府への怒り、そして恐怖を淡々と語っていた。しかし、「ビキニは終わっていない。責任を取ってもらわなければいけない。私たちは今なお苦しんでいる」「フクシマを見ていると、国がもう終わったと言っていることや、内部被爆を切り捨てていることなど、ビキニがくり返されていると思います」とキッパリ断言していました。山本太郎さんは「今年は参加できなかったけれど、来年の3.1ビキニデーには参加します」と宣言。会場が沸いた。

DSC_0081 集会のメインは、井上利男さん(「ふくしま集団疎開裁判」の会)の福島県郡山市からの報告~原発被災地をおおう「国際原子力マフィア」の影~だ。井上さんは映像を使いながら、「原発事故はなかった!放射能は安全!」とこの期に及んでも原子力政策にのめり込む原子力マフィア(文科省・ICRP・政府・行政・裁判所・県立医大・IAEAなど)を断罪した。そして、生き抜くためにあきらめずに闘おうと訴えた。その後、会場からの質疑応答が小一時間にわたっておこなわれた。「裁判はいまどうなっているか」「どんな病気が出てくるだろうか」「マフィアとは」などいろいろな質疑討論がおこなわれた。最後に井上さんから、「3・11を風化させる動きが強まっている。福島を再生・復興しようとか。しかし、3・11を、8・6ヒロシマー8・9ナガサキと並ぶ日にしたい。ぜひ3月11日福島に来てください」と訴えた。

 ふくしま共同診療所の杉井医師は、福島県民が、チェルノブイリ基準(年間20㍉シーベルト)の避難権利区域(住民が要求すれば費用も移転先も国の責任で確保しなければならない区域)に住んでいる。健康だけではなく、避難・保養も含めて相談できる診療所にしたいと協力を熱く訴えた。

 まとめをNAZEN織田事務局長が「3.1ビキニデーから3.11福島へ!この社会を変えるために、東京でも仲間と団結して、行動を開始しようと提起した。

 参加したある区民は「久しぶりに熱い集会に参加しました。山本太郎さんの7万の熱気は続いていますね」と話していた。

 この集会に向けて、NAZEN杉並を先頭に、東京のユニオン・労組交流センターの労働者、そして都政を革新する会が、杉並の街頭や金曜日の官邸前行動でのビラ配布、労組まわり、商店や友人・知人を訪問し、参加を呼びかけた。原水禁運動やビキニ事件の学習会、デモ、そして、集会前2週間は、ビキニを忘れるな!福島とつながろう!子どもたちを放射能から守ろう!と
宣伝カーが区内を駆けめぐった。「ビラをもらいました。チケットをください」と駆け寄る人、「行けないけど」とカンパ、「ビキニ?友だち誘って行く」「ビラを労働組合で配ります」「今までで一番たくさんビラを受け取ってもらった」こうした取り組みが集会の成功へとむすびついたのだ。NAZEN運動の新しい時代を拓こう。     

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