ほんの数年で戦争一色に変えられてしまう危険が
けしば 国会に有事立法3法案、さらにメディア規制法案などが提出され、私たちも街頭に立って、その危険性を訴えてきました。土本さんも呼びかけ人の一人である「とめよう戦争への道! 百万人署名運動」の署名を集めています。法案の中身が明らかになるにつれ、大きな反響と手応えを感じています。
まず、土本さんの戦争体験からお話を聞きたいのですが。
土本 戦争が終わった年、ぼくは17歳の軍国少年でした。国は国策を徹底させるために、皇民教育に大変な力を使っていました。教科書から街頭のビラにいたるまで。小泉首相が言った「備えあれば憂いなし」なんて、あの頃の言葉ですよ。娯楽も何もない、緊張を強いられた時代でした。
昭和10年ごろから15年くらいにかけて、国家総動員法を柱に、政界・財界・軍部が、びしびし手を打っていきました。ぼくらの生活上の規制は毎年毎年厳しくなり、教育の内容からさまざまな行事の行われ方まで、細かいところまで規制されるようになりました。学校なんか全然行かないで勤労動員に行かせられました。徴兵年令はどんどんくり下がってくる。隣組が末端まで徹底してくる。ぼくの母親まで、竹やりの訓練していた。そういう変化が、あっと言う間に作られていきました。
4年間くらいの教育で、ぼくらの世代はガチガチの軍国少年になりました。戦争翼賛の世論は、4年もあればできてしまった。恐ろしいことですよ。それに、そのときのマスコミのだらしなさです。政府に批判的な新聞など本当に何もない。みんな同じ調子でした。
問題なのは最近の新聞もそうなっていることです。たとえば本当に重要なニュースのあつかいが悪い。イスラエルの徴兵拒否の運動や一万人のデモなども、ほんの小さくしかあつかわれない。世界の民衆のたたかいについての情報が少ない。
けしば そうした中で、小泉首相は、その他の有事法制もふくめて、この2年くらいでやってしまおうと考えています。その過程そのものが改憲ということです。ここが戦後のあり方すべてをかけた攻防であると思いますが。
土本 さかのぼれば、1965年に問題になった三矢研究のころに始まり、70年代には自衛隊が自由に超憲法的に動ける有事法案を用意していましたが、何とかおさえこんできました。それがついに出てきたのです。ここ最近の数年間でがらりと様子が変わってきています。北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国の「脅威」をあおり周辺事態法が作られ、昨年9・11反米ゲリラ以降にはテロ対策特別法が作られ、今度は「不審船」問題などを口実に有事立法です。
彼らが、やろうとしてできなかったことを、すごい勢いでやり始めたのです。危機の時代だからと、自民党は小泉政権に、この国会で一気にやらせてしまおうとしています。そのうえメディア規制法ができて、マスコミが批判力を失ったら、急速なテンポで憲法改悪までいくだろう。
ぼくの体験から言うと、50年に始まった朝鮮戦争が終わって、56年にサンフランシスコ講和条約が結ばれる、それからの戦犯の追放解除の動きの早かったこと。また朝鮮戦争の前後にはレッド・パージが始まった。この当時から一貫して、憲法9条は、あやうくなっています。戦後の日本は、日米安保体制のもとで、すべてをやってきました。アメリカ追随のきわみが、今度の9・11以降の動きです。
たとえば「不審船」といいますが、日本に出入りしているアメリカの軍艦が核武装しているということ、この方がよっぽど「不審船」です。それを今、沈んだ船を引き揚げてまで、北朝鮮を非難して、法案を通そうとしている。日本は、9・11をもって右傾化のテンポを世界で一番早めている国です。
今考えなければならないのは、ひとつは沖縄のことです。ぼくが学生のころには、沖縄に行く許可がでませんでした。まるでよその国です。ぼくは映画を始めていましたが、70年代になるまで取材も許されなかった。アメリカの占領下で軍事基地が作られていた。今度は、日本全土が沖縄化するということです。だけど沖縄の問題をいまだにきちんと総括できていないから、アフガニスタンの問題でも何でも、ぼくらの想像力が貧困なんです。
大国の介入を拒否しぬくアフガニスタンの歴史が
けしば 土本監督がアフガニスタンで撮られた記録映画「よみがえれ カレーズ」が、今あらためて各地で話題となり、重要な問題を提起するものとなっていますね。
土本 ぼくがアフガンに興味を持ったのは、アラブやアフリカなど、いわば発展段階のおくれた国が、民族意識に目覚め国を作ったときに、どうやって近代化していくのかということです。国を近代化していくには、どんな場合でも助けがいると思います。しかしアメリカは、石油利権があるとか、自国の消費物資を売りつけるとか、でなければ助けない。
だから、ぼくはソ連のアフガニスタン支援は肯定していました。実際、ソ連のアフガニスタン支援は、公共的な基盤整備でした。道路、水道、電力、病院や学校など。それはソ連の国の作り方の雛形だったと思うけれど。冷戦の東西対立の中で、アフガニスタンをめぐって、隣国パキスタンがいて、その背後にはアメリカがいる。だからソ連はアフガニスタンを援助しました。
しかし、ソ連のアフガニスタン侵攻に、ぼくは困惑してしまいました。片方は鉄砲で戦っているのに、もう片方はヘリコプターを持ち、10万の戦車隊を派遣するわけです。まったく不均等な戦争で、だれが見ても侵攻です。
映画を撮った段階は、ちょうど今と似てて、人民民主党一党支配ではなく、もはやこのアフガニスタンの状態では、選挙に基礎を置いた国民和解しかないということでした。実際、人民民主党の方も、85年〜87年ごろには、ムジャヒディンの主張するイスラムの教えを憲法などに取り入れ、ソ連軍の撤退のころには国民和解政策として出してくるのです。その時期のアフガニスタンを記録したいというのが、88年に撮影に行ったときのポイントなんです。
その後、見ていると、コーランで、あれだけ兄弟殺しを禁じている国なのに、92年にナジブラが政権を委譲してから、ムジャヒディン側の暫定政権がやった内戦は、イスラムの何に照らしても、どこにも正義はない兄弟戦争でした。だからタリバンが出てきたときには、ぼくは、これで兄弟殺しが終わるなら、こういう世直しもあるのかなと思ったりもしました。その後のタリバンの政治を見ていくと、民主主義をめざしたアフガニスタンの人びとの動きとまったく違い、7〜8世紀に戻してしまうものでした。
アメリカは、アフガン国内の一方の武装勢力に加担して、強烈な軍事攻撃を加えタリバンに取り替えて政権を作ろうとしているが、絶対にうまくいかない。こういうことは、一世紀以上にわたって、ここでイギリスがやってきたが、アフガンの人びとは許さなかった。こんなふうに国の形を作り、勢力配置を作るなど、アフガニスタンの人たちは許さないと思います。
しっかりした歴史観持ち自分の生き方を考えよう
けしば 私たちが街頭で訴えていても、在日朝鮮人から激励されます。例の「テポドン」打ち上げのときに、杉並区議会でも「北朝鮮弾劾決議」をあげようという動きがありましたが、私たちの力でとめることができました。そのときに交流ができた人たちが、通りかかると励ましてくれるのです。彼らの危機感を共有していかなければと思います。
土本 小泉首相が、最初に馬脚をあらわしたのは、就任後まもない靖国参拝問題だと思います。これで、ぼくは、この人は戦争についての歴史観のない人だと思った。アジアで、とりわけ朝鮮や中国で、どれだけ批判があるかを、絶対に見ようとはしない。こういう人から、軍事的なきな臭さが次つぎと出てくるのは当然です。最悪の人物だと思います。
日本経済が凋落する中で、アメリカの世界軍事支配のパートナーとして日本がふるまっていることは、怖いことです。さっきも言いましたけれど、社会は5〜6年で変えることができる、変えられてしまう、というかつての体験から言えば、ゆっくり考えているひまはないと思います。
歴史を、どのように振り返るかが、とても重要な時代になっています。ヨーロッパでは移民排除を主張して極右翼が登場しています。かつてその国が支配したアフリカやアジアの国々からの移民です。同化政策で言葉を覚えさせたから、一番その国に来やすいのです。歴史をといていけば、一世紀以上の植民地支配がある。そのツケがきている。
日本は今、批判を受けアジアの孤児みたいになっています。それも、この一世紀以上の歴史のツケがきているのです。そのことをぬきにして、移民排除だの、難民排除だの、在日排除だのと言うこと自身間違いです。日本の歴史を見直すこと、世界中の先進国がそうですが、自分の国の歴史を見直し、再びあやまりをおかさないように見つめることが必要です。歴史の原点をたどって、自分たちの生きざまを考えていくことです。中国などが歴史認識を問うのは当然のことです。
けしば 去年、「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書採択が大問題になり、なんとかこれを阻止しましたが、右の方から、そういう動きが始まっています。歴史を問い直していくことは重要ですね。
土本 日本は経済大国だなどというおごりが国民の意識の中にすりこまれ、日本がアジアの覇権を握ろうなどという意識があります。中国が低賃金だというと、それによって日本経済が脅かされるというように考える。それに対してわれわれが知るべきは、世界の最低限の生活をおくっている人びと、「遅れた国」と言われている国の人びとの生活と触れ合って、日本を見直していくことです。
その国にはその国にふさわしい生活というものがあって、日本人がとっくに忘れてしまったものがあるのです。ぼくは、アフガニスタンのフィルムを見ながら、はたしてここまで進んだ日本の社会と遅れた国だが近隣の人びとや家族とのつながりの中で生きている彼らと、どっちが幸せかと思う。
ここに爆弾や武器さえなければと、そう思います。銃一丁、アフガニスタン国内では作る所はない。全部が外国から入ってきたものです。強大国が両方から援助して、あれだけの武器をあの国に過剰に持たせてしまった。
アジアの人びとと交流しともに行動を起こすとき
けしば 若い世代に土本さんが一番アピールしたいことは何でしょう。
土本 ひとつは、歴史をきちんと見てほしい。たとえばアフガニスタンで女性が差別され、教育を受けられないでいるとか批判的に論じるのは結構ですが、では日本の幕末から明治への婦人の歩みを見ると男女共学など遠い話だった。ブルカどころか、「おはぐろ」といって、結婚した女性は歯を真っ黒にしていた。アフガニスタンの非難されていることで、日本でかつてなかったものはないんです。同族が殺し合うのはけしからんと言うが、日本でもそれをやって明治になった。派閥争いだって、いまだに日本でもやむことはない。先進的な人びとのたたかいがあって、民主主義の歴史が作られてきたのです。日本の良い所も悪い所も、ちゃんと見ることです。
もうひとつは、アジアの人たちや、世界の南といわれる国の人たちとの交流してもらいたい。アジアや「遅れた国」といわれているところの人たちを、どう自分の身近に感じ、関心を持つことができるのか。これが、これからの日本をどうするかにとって非常に重要なことです。隣の国、よその国に、足をはこんで、その人たちと連帯してものごとを考えて、いっしょに行動を起こして、日本を変えていくこと。外の潮流と連帯して、国内を変えていくことが必要です。
震災などの災害のときに、若者たちがボランティアに立ちあがっています。最近、水俣展が行われましたが、そこでも若者のボランティアには、こと欠かなかった。何かできることをやりたいという人はいるし、とくにインターネットなどで情報が取れる現代ですから。若い人たちの自発的な運動に期待しています。
今、無党派層と言われる人たちが全体の半分を占めています。既成政党がだらしないからで、それは残念なことなのですが、反面、その中から新しいことをやろうという動きが出てくるはずです。そこに希望を見出したい。
けしば 貴重なお話を、どうもありがとうございます。 |