もどる 2002年3月1日up

有事法制に絶対反対
小泉首相は再び朝鮮・中国・アジア侵略戦争をやるために有事立法をつくろうとしている

憲法停止され首相が全権をにぎる

 小泉首相は、今開かれている国会冒頭の施政方針演説で、有事立法の関連法案を国会に提出すると言いました。「そなえあれば憂いなし」などと言っていますが、いったい何にそなえるというのでしょうか。
 軍隊を持ったことで第二次世界大戦に突入した反省から、戦争を放棄するために憲法9条をつくったのです。有事立法は、再び朝鮮・中国・アジア侵略戦争をやるためのものです。戦争放棄を明記した9条を否定し戦争をするための法律=有事立法は、絶対に阻止しなければなりません。
 事実、小泉首相は「テロも不審船も拉致問題も有事だ」などと言い、外国船撃沈事件を引き起こし、事実上の戦争行為を行っています。「テロへの報復」としてアフガニスタンに対して、アメリカが、一方的に戦争をしかけています。これと同じことを日本もやろうとしているのです。
 有事とは戦争のことであり、軍隊が戦争行動に入ることです。同時に軍隊が主導して治安維持にあたる戒厳事態のことです。自衛隊の最高指揮官は首相です。その首相が国家の全権をにぎるのです。戦争放棄の憲法9条を停止し、治安維持法で日本をアジア侵略戦争に突入させようとする有事立法を絶対に阻止し、小泉政権を打倒しよう。

土地や物資を奪い民衆を戦争動員

 有事対応の理念や枠組みを示す「基本法」的な規定と、自衛隊法などの個別の法改訂を、「武力攻撃事態への対処に関する法制」(仮称)として一本化した「包括法」として提出する構えです。
 これに盛り込まれるのは、物資の収用や土地の使用、業務従事命令などを可能とする自衛隊法改悪です。さらに道路法や建築基準法、医療法などの適用から除外するための自衛隊法改悪です。首相が「有事だ」と宣言すれば、軍隊が現行憲法や法律にとらわれずに行動できるということです。
 軍隊が使うからと、私有地に軍事施設を作ったり、家屋などの明け渡しを迫ることができる。道路や鉄道も、港湾や空港も、そして病院も、軍隊が優先使用できる。燃料や食料をはじめ、あらゆる物資も軍隊が優先して調達し、強制的に接収できるようになります。これに地方自治体や民間人まで協力を強制され、拒否した場合の罰則まで作ろうとしています。労働運動や反戦運動は、弾圧の対象になるのです。

有事立法と憲法改悪に反対する 全国署名運動に取り組もう

 これに対して「とめよう戦争への道! 百万人署名運動」が新たな署名を呼びかけています。この署名運動を広げ、地域や職場、学園から戦争反対・有事立法反対の大運動をまきおこそう。

戦争体験者に聞く

国家総動員とは

天谷さん

有事立法ができたら、どうなるのか。国家総動員とは、どういうことか。戦争を体験した杉並区内在住の天谷昭夫さんにお話を聞きました。

民家を強制的に取り壊し 私邸を接収し軍事工場に 民間企業や高校生も動員

 戦争中は、旧制一高の学生で、当時全寮制で駒場寮にいました。戦況が厳しくなって勉強どころではないと、私たちの1年上の先輩たちから、高校3年制が1年短縮の2年になりました。私たちは、まともに授業に出たことは1年生の時にはあったけれど、2年生の時は方々に動員されて、そのままその年の夏に敗戦を迎えました。
 最初に動員されたのは消防署、高輪署でした。空襲で火事が起きたら出動するために待機するんですが、やらされたのは、その火事の延焼を防ぐ防火帯を作るために、民家を強制的に取り壊す作業でした。燃えやすい木造の家の柱にノコギリを入れて、屋根に縄をかけて、みんなでワッショイワッショイ引っぱって、バターンと倒し、そして撤去してしまう。

東京大空襲

 消防署に動員されている時に、東京大空襲がありました。高輪署にいたら、本所の方で大火災だというので出動命令が出た。行く準備をしていたら、高輪署管内でも空襲による火災が発生したというので、そちらに向かうことになった。同じ管内の別の消防署にいた早稲田の学生は、本所の方へ出動して、そのままみんな帰って来なかった。私たちは運良く助かったけれど、もう少しで死ぬところでした。
 私たちが消防車で出動した先は、一面の火の海で、水道の水も出ない。どっちを見ても炎で陽炎がたっている。B29が超低空で飛んでいた。夜が明けるまで、なすすべもなく、茫然としていた。朝、品川駅のあたりまで帰ってきて、本所の方を見たら真ん丸の、ものすごい大きな入道雲が見えた。あんな大きな雲を見たことはないです。

海軍第二技術廠

 次に海軍第二技術廠に動員されました。そこでは熱線探知機、今で言う赤外線追尾装置ですね、それの試験や調整をやっていました。夜間には見えない飛行機や船を、それが発する熱線を感じて追尾するもので、飛行機などに積めるような大きさのものです。
 最初は金沢八景にあったんですが、空襲が激しくなったので各地に分散して、疎開したものです。そのひとつ、機械の試験をする部門が、逗子に岸さんという大金持ちの別荘があって、それを軍が接収して使っていました。逗子はもともと海水浴場でしたから、海水浴客用の宿があって、私たち学生はそこに寝泊まりして通っていました。
 海軍の技術将校や海軍技術廠の職員のほかに、戦後ソニーをつくった井深さんが社長をしていた日本測定機という民間会社からも技術者が動員されていました。技術将校のひとりに、後のソニーの盛田さんがいました。そこで知り合った関係で、戦後、私もソニー(当時、東通工)に就職したんですが。

敗戦−朝鮮戦争

 戦争中は、戦争の目的は正しいんだと思い込まされていました。それが敗戦を迎えて、日本は武装解除されました。戦後憲法ができて、戦争放棄だと。戦勝国の押しつけを感じたことは否めないが、これからの世界を徹底的に平和的な手段で作りあげていかなければ、と思いました。大学を卒業して就職した時も、戦争中には、その技術を提供して兵器をつくっていたが、これからは民生に役立つ平和な産業でなければならない、という強い思いで発足した会社・東通工で、世界の平和に貢献できる仕事がしたいと思いました。
 ところが50年に朝鮮戦争が始まったとたん、日本を武装解除したアメリカが、再軍備を要求してきた。戦争に日本中を動員して協力させようとした。今も続いているその矛盾を根本的に解決する道を真剣に追求していきたいと思っています。

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