戦争責任を否定しアジア侵略の歴史を美化するファシストの姿
8月15日の「終戦記念日」をむかえ、日本の戦争責任をめぐる議論は重要となっています。周辺事態法をはじめガイドライン関連法案が国会を通り、「日の丸・君が代」法案が成立強行されようとする情勢のなかで、今回は、戦争責任の問題、歴史認識をテーマに語ってもらいました。
「大東亜戦争」と公言して再びアジア侵略狙う
石原知事は、都議会での施政方針演説で、「アジアを基軸として世界をにらむ」と言っています。アジアや世界に向かっての国家戦略のレベルに言及したのは、都知事としては、石原知事が初めてのようですが。
長谷川 かつて鈴木都知事が「世界都市東京」ということを都政の枠組みの中で言ったことがありますが、やはり大きな点は、石原知事が、いま言われた国家戦略レベルの話として、かつての「大東亜共栄圏」を、いまの日本の国家戦略にすべきだという考えを公然と内外に表明し、実際に都政を動かしはじめたことは重大です。
たとえば、小林よしのりや藤岡義勝らとの懇談会をはじめようとしています。米軍横田基地も、自衛隊に使わせろということをめざして動きだしています。
石原知事は、アジアと日本の金融・経済危機は、世界制覇をねらう金融帝国アメリカが、「グローバリゼーション」と「デリバティブ」という巧妙な手口でおとしいれた結果だ、これではアメリカの金融奴隷として日本もアジアも一方的に支配されると言います。それに対して、アメリカと刺し違える覚悟で、アジアに円圏をつくる、それがアジアとともに日本が生きる道だといいます。
さらに石原知事は、『アジア憲章』というのを書いています(別掲参照)。石原知事自身が「先の大戦の際の大東亜共同宣言をそのまま小学生にもわかる言葉に書き直した。東アジア同盟というのは原文では大東亜」と言い、「こうやってみると(大東亜共同宣言は)いまも生きており、これからも活かせる」と言います。
日本が朝鮮・中国からアジアに戦火を拡大して2000万人ものアジア人民を虐殺し、ついには日米戦争にいたった、アジア侵略戦争に対して、戦争責任・植民地支配責任の自覚はまったくない。だから「大東亜戦争」という言葉も使うのです。
「南京虐殺は作り話」と侵略の歴史的事実を否定
石原知事は30万人もの中国人民を虐殺した1937年の南京大虐殺に対しても、「作り話」とか「万単位の人を殺したということは疑わないが、10倍以上に誇大にいう南京大虐殺は大嘘だ」といって、史実を否定しているのは許せませんね。
長谷川 南京大虐殺という歴史の抹殺は、絶対に許せない。さらに軍隊慰安婦問題でも、「強制連行されずとも有償ボランティアとして、娼婦になった人はたくさんいて、ごく自然なことだ。それをもって日本の戦争遂行が汚れたものだということは、日本をおとしめるねらいにがあり、作為的非難でしかない」と言っています。
しかも、日本の戦争責任・植民地支配責任・国家による性奴隷強制の責任を追及し、決死で立ち上がった軍隊慰安婦の証言を「依然として貧乏しているからこれで少しでも稼ごうとしているだけだ。今度は肉体を代償に稼ぐだけでなしに、自分の名誉を代償に稼ごうとしている」などと本当に許せない、二重三重の暴言をはいています。
ここに、私たち日本の民衆が、石原知事をうちたおすべき核心があります。事実と向きあうならば、南京大虐殺や軍隊慰安婦の問題は消そうにも消せない、歴史的事実です。これを石原知事はどうやってねじ曲げ、正当化するのか。石原知事は「日本人はナチスがやったホロコーストのような大量殺人をやるような資質の民族ではない。民族の名誉の問題だ」として史実を切り捨てます。
しかし、石原知事のごまかしは絶対に通らない。そもそも当時の新聞報道には「敵地にむけ百人斬り競争」「千人斬り競争」という見出しで、日本軍による中国人民の処刑、文字通りの首斬りの写真入りで、扇情的に掲載された。これが日本の戦争犯罪の証拠です。日本軍が中国やアジアの主要都市を陥落させるたびに、小学校の生徒が「日の丸」を振ったり、提灯行列を行うという帝国日本の現実があったわけです。
そういう国家を挙げた恥ずべき戦争犯罪の歴史と具体的に向き合うことです。石原知事のような主張や映画『プライド』や藤岡義勝の『新自由主義史観』、小林よしのりの『新ゴーマニズム宣言』のような主張がまき散らされている今ほど必要なときはありません。
逆に、歴史認識が正しく守られ引き継がれるなら、再び侵略の銃をとり戦争の道を歩むようなことは絶対にできないし、しない。実際に日本がアジアに自分の国の戦争としてでていくことが、政財界の意志となっています。だから、いまの情勢のもとで、歴史認識を解体し、歴史教育を解体するために、石原知事のような許しがたい言動がでてくるわけです。
アジア、沖縄と連帯して杉並から大運動おこそう
石原反動都政との闘いでも、この国の行方をめぐる闘いという意味でも、石原知事の反動的な歴史観は決定的ですね。
長谷川 私が都議選に初挑戦したとき、推薦をいただいた美濃部亮吉さんは、石原知事が対抗馬として都知事選に出てきたとき、「石原さんはファシストだ。あんな奴には絶対負けられない」と言われました。ヒットラーのようなファシストの場合、その価値観とともに、それと結びついた特有のデマゴギーをきちんと暴き、たたきつぶすことが重要です。
石原知事は、「アジアとともに今こそ日本がたちあがるとき」とも、「もし日本が大東亜戦争でアジアにかけた迷惑があるのだとしたら、それを償うのは日本が金融帝国アメリカとの戦いの一番前にでることだ」とも言っています。あたかもアジアの国々と民衆のために日本が戦うという装いです。
しかし石原知事が言っていることは、2000万人のアジア人民を殺し、「大東亜共栄圏」を宣言して、アジアを大日本帝国の植民地・勢力圏とした、日本の歴史をこれから再現することです。石原知事自身「やるときはアメリカと正面からやる。しかし、その前に東アジア同盟を日本の後に置いておく」と、つまり日本が先んじて東アジアをおさえてアジアをアメリカと分割する闘争・戦争をやるんだということです。
「植民地支配は帝国主義の歴史原理で、アジアで近代化した日本が欧米の植民地にならないためには、産業軍事国家として欧米の植民地支配をうちくだく以外にいかなる選択肢もない。アジアの民族独立も大東亜戦争なしにはなかった」、これが石原知事の歴史認識です。だから日本軍の戦争犯罪についても「白色人種、欧米が植民地時代にアジアで行ったしうちのほうがよほど冷酷で残忍だ」などと平然と言えるのです。
私たちは、いかなる戦争も、どの国による植民地支配も許さない。とりわけこの国にいる以上、この国の戦争を許さない。そのためにも、アジア人民による日本の戦争責任・植民地支配責任追及の闘いから学び、歴史認識をはっきりさせる
ことです。
歴史認識は、沖縄戦とその後の米軍基地支配についても同じです。アジア人民と連帯すること、沖縄と連帯することが、石原知事との闘いとなり、「日の丸・君が代」をかかげた小渕政権、大政翼賛会と化した自自公体制の行くてを阻みます。
天皇の名で沖縄戦を強いられた沖縄、日本の侵略の行き着いた結末として原爆の惨禍で犠牲を強いられたヒロシマ・ナガサキの闘いと連帯し、原水禁平和運動の発祥の地=東京・杉並から一つになって、小渕首相と石原知事をたおす大きな運動をまきおこしましょう。
それが8月15日に誓うべきことではないでしょうか。
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