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| 「月刊新コスモス」で連載中 | 1996年09月掲載開始 第001〜049号 |
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■杉並映画村通信 001 1996年09月掲載開始
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連載 第001回 「男はつらいよ」
この『新コスモス』に、映画の連載をスタートさせることになった。「杉並区に住んでいる映画評論家なのだから、ぜひやってほしい」ということらしいのだが、この革新系の議員さんたちの出している、こむずかしい(?)政治新聞に、映画のことなんか書いても果たして読む人がいるんだろうか?
投稿は、〒168-0074 東京都杉並区上高井戸1-32-40 新コスモス編集部気付 「白井佳夫の杉並映画村通信」あてにどうぞ。 |
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■杉並映画村通信 002 1996年10月掲載
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連載 第002回 わたしにとって寅さんとは
渥美清が亡くなったことで、四八本で終了した「男はつらいよ」シリーズ映画。そしてその主人公であった寅さん。それはあなたにとって、いったい何であったのか?ということをこの「新コスモス」の読者に、ハガキによる短文投稿、という形で呼びかけた、その応募作品の発表第一回目である。 「ギリギリまで考えたのだが、今回はもう一つ言葉が出てきません!」とのことで、逃亡(?)されてしまった。では必ず次号での投稿を期待することにして。 「毎年、正月になるとついつい見てしまう。このマンネリズムがこわい。しかもどれも手抜きせず『よく出来ている』のが、あぶない。殺人も犯罪も闘争もない。『安全地帯』。このシリーズは、既成の秩序を決して揺るがさないことによって、体制に貢献していると思う」というのは、ペンネームの杵好羊一さん。 「刑務所内で在監者向けに一番多く上映される映画は寅さんシリーズ。やっぱり反抗心を殺(そ)ぎ、人をまるめこむのに最適の映画じゃないか、と思います。だから、反発:好感=9:1のアンビバレンツ」というのは、葛飾区小菅の十亀弘史さん。 |
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■杉並映画村通信 003 1996年11月掲載
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連載 第003回 寅さんには濡れ場がない!
さて今回は「男はつらいよ」シリーズ、寅さん映画とは、いったいあなたにとって何であったのか?をハガキによる短文投稿で答えてもらうシリーズの、発表第二回目である。いつもこの「新コスモス」に顔写真とともに登場してくる、長谷川英憲さんの答えが、やっともらえたので、さっそく活字化しよう。 「寅さんみたいに生きられたらいいな――誰しもが抱く願望だと思う。だから『永遠』であり得たのだろう。でも、この『願望』は『希望』とは違う。
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■杉並映画村通信 004 1996年12月掲載
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連載 第004回 一度も見たことがありません
新城せつこさんからの待望の投稿があったので、まず活字化しましょう。 「ついにというべきか、とうとうというべきか、白井さんからご指名がかかってしまいました。考えてみても、出てくるはずがありません。私は寅さん映画を一度も見たことがありません。テレビでの放映では見ているはずなのですが、ほとんど覚えていないのです。これからいえることは、わたしにとって寅さん映画は全く興味のわかない存在だといえます。なぜかという点について考えてみようと思いました。
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■杉並映画村通信 005 1997年01月掲載
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連載 第005回 寅さん映画と『E・T』
飛鳥田一雄さんが委員長だった時代の、社会党の党大会が東京の九段会館でおこなわれた時、私は開会のスピーチをたのまれて、「寅さん映画と『E・T』が大人気を得ているような世の中は、よくない世の中である」という話をしました。「馴れあいの日本的人情喜劇」と「宇宙人・人類みな兄弟」といったようなムード的平和映画が流行する世の中の風潮は、どうもよろしくないのではないか、と思っていたからです。
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■杉並映画村通信 006 1997年02月掲載
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連載 第006回 しょうがないのではないか?
「僕も新城さんと同じく『寅さんには興味がない』『無縁』と思っていた一人です。先日、朝日新聞に山田監督が葛飾柴又を訪ねるという企画が載っていました。くり返しリフレインされる『寅さん』。たしかに渥美清は死んだが『寅さん』は死んでいない。よくよく見てみると、しっかり生きている『寅さん』的なもの。
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■杉並映画村通信 007 1997年03月掲載
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連載 第007回 「政治運動者の論理」
「一番の理由は『寅さん』の中に、女性が一人も出ていないことです。確かに『さくら』はじめ、女優が演じている役柄はいろいろ出てはいます。しかしそれは、マドンナを筆頭に妹であり、おばちゃんであって、すべて男性によって規定された役割を持つ存在でしかありません。一見、男性に頼らない自立した女性であるかのように見える『リリーさん』も、結局『聖なる娼婦』と規定される存在だと思います。」
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■杉並映画村通信 008 1997年04月掲載
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連載 第008回 寅さんに対する恐れがない!
「本当に『論理で否定』するのは簡単です。必要なのは現状変革の行動だと思います。寅さんが好まれるのは、映画の観客がやはり、インチキな共同体から、自分の人間性の発展を抑圧されている人々であり、寅さんがそれからの一時的、幻想的解放を生みだす『放浪者』だからではないでしょうか。
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■杉並映画村通信 009 1997年05月掲載
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連載 第009回 私のヒガミというものか?
「男はつらいよ」シリーズ映画を見、その中での寅さんの言動に接すると、私はなぜか心が安まった記憶がある。かなりシンドい日々の政治活動に疲れた、身体と心に、それはまさに一本のビールに酔う程度の、やすらぎを与えてくれたのである。人間には、そういうものも必要なのかもしれない、とつくづく本音として思う。寅さんの映画には、私のやっている運動につながるような、テーマもなければ、論理もない。「男はつらいよ」シリーズ映画を見たことで、行動の指針を与えられたようなことも、ありはしない。しかし、あの映画のもつ日本的な、ムードにひと時ひたっていると、疲れが休まるのだ。
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■杉並映画村通信 010 1997年06月掲載
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連載 第010回 「失楽園」と「うなぎ」
「失楽園」と「うなぎ」という、二本の役所広司主演の映画が今、話題を呼んで上映中である。「失楽園」は、日経新聞連載中から読者を過熱(?)させた、渡辺淳一の不倫もののセックス小説の映画化で、映画も記録的な大ヒット中である。
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■杉並映画村通信 011 1997年07月掲載
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連載 第011回 日本人が好む映画の内実
日本経済新聞連載中から話題を呼んだ渡辺淳一の小説を、映画化した作品がまた大ヒットした「失楽園」を、政治革新のための運動をやっている本紙の読者のかたがたは、ほとんど見ていないらしい。そんな風で、都議選はいったい大丈夫なのだろうか?とこれはまったく皮肉ではなく、まじめに思う。
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■杉並映画村通信 012 1997年08月掲載
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連載 第012回 「失楽園」と「うなぎ」の考察
「白井さんは<喪失感>といいましたが、それは同時に、映画を見ている側の<閉塞感>でもあるような気がします」(相模原市・芦田佳幸)というハガキもいただいた。その通りだ、とも思います。ならば「失楽園」と「うなぎ」という映画の中にたちこめている、現代の日本人のそういう、心情というものを、あなたはどう打破して「突破口」をあけよう、、と思うのですか?映画の感想を自分の思想的心情のタテマエにのっとって、他人事のように「分析」するだけでは現状打破は、ならぬでしょうね。そういうく<喪失感><閉塞感>は、あなた自身の日常の中にも、充満してはいませんか?それを本当に「斬る」ことを考えたら、そんなタテマエ論に安住しては、いられないのではありませんか? |
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■杉並映画村通信 013 1997年09月掲載
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連載 第013回 映画の中の時代を読む
「『うなぎ』『失楽園』をめぐって、現代日本人の<喪失感><閉塞感>が指摘されていますが、裏返せば、そういう日常から逸脱することへの願望がある、ということになります。自分自身、『うなぎ』の主人公が『仮出所の身の上』という制約をふり捨てて、悪徳金貸し相手に大立ち回りを演じたときには思わず拍手喝采をおくり、『失楽園』の主人公がどんどん不倫の深みにはまるにつれ『なかなかやるわい』と思って見ていました」(杉並区/倉田直志/39才)という投稿がありました。「男はつらいよ」シリーズの寅さんは、全四八作品でいつも<同じこと>しかしませんでした。そしてその作品世界を支配しているのは、流血とか暴力といったものとは無縁の、<何もしないでいることの平和と安定>でありました。<庶民の人情>といった、疑似的なく<ヒューマニズム>をよりどころとした。 |
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■杉並映画村通信 014 1997年10月掲載
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連載 第014回 映画の映像は現代を証言する
映画とは、機械を使って人間が集団で作る、文化的な創造物である。従って個性的な監督がリードして、この現代的な創造物が作られると、その映像からは面白いテーマが、読みとれるようになる。映画の映像というものは、とても感覚的な形で、それが作られた時代というものを証言し、その向うに形作られつつある近未来というものを予言するものなのである。 |
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■杉並映画村通信 015 1997年11月掲載
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連載 第015回 「エアフォース・ワン」
最近のアメリカ映画は、何を見るべきか?と問われたら、「エアフォース・ワン」と答えよう。クリントン大統領が見て気にいり、ホワイトハウスの職員に「皆も見るように」と言った、という話題のヒット映画である。ハソソン・フォードの演じるアメリカ大統領専用ジェット機「エアフォース・ワン」が、ロシア訪問の帰途、テロリストに乗っとられる、というサスペンス映画だ。大統領は妻と子を残して非常脱出装置で逃れた。ところが地上に到着した脱出用カプセルを開けると、その姿がない。 |
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■杉並映画村通信 016 1997年12月掲載
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連載 第016回 セブン・イヤーズ・イン・チベット
前号に書いた「エアフォース・ワン」についで、二番目に見るべきお正月興行のアメリカ映画は?と問われたら、「セブン・イヤーズ・イン・チベット」と答えようと思う。 |
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■杉並映画村通信 017 1998年01月掲載
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連載 第017回 「阿片戦争」をどう読む?
「エアフォース・ワン」と「セブン・イヤーズ・イン・チベット」という二本のアメリカ映画につづいて、見るべきお正月映画は何か?と聞かれたら、中国映画「阿片戦争」と答えようか。これは「芙蓉鎮」の謝晋監督が、香港が一世紀半ぶりに中国に返還されたことを記念して作った、二時間半の大作である。 |
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■杉並映画村通信 018 1998年02月掲載
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連載 第018回 久しぶりの投書ですが
久しぶりに投書が二通きたが、どれも痛く失望した。「セブン・イヤーズ・イン・チベット」は「欧米帝国主義のアジア侵略の歴史を語らず」に、「欧米人にとって都合のよい甘美(かんび)なオリエンタリズム」のみを描いた内容で「唾棄(だき)すべき」だと主張する。 |
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■杉並映画村通信 019 1998年03月掲載
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連載 第019回 最新作「アミスタッド」
「E・T・」や「ジュラシック・パーク」と、大ヒット映画連発のアメリカの人気監督スティーブン・スピルバーグの最新作、「アミスタッド」の上映が、始まった。これは一九世紀にアフリカから奴隷たちをアメリカに運んでくる、スペィン船で嵐の夜に起った、黒人たちの反乱のドラマである。 |
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■杉並映画村通信 020 1998年04月掲載
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連載 第020回 「タイタニック」が意味するものは?
「タイタニック」が意味するものは? |
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■杉並映画村通信 021 1998年05月掲載
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連載 第021回 生気のない「話題作」--「恋愛小説家」「ジャッキー・ブラウン」
アカデミー賞の主演男優賞をジャック・ニコルソンが、そして主演女優賞をヘレン・ハントが受賞したアメリカ映画「恋愛小説家」の日本公開が、始まっている。「イージー・ライダー」で、ドラッグの匂いのするような感じの、反体制的なイメージの強い俳優として有名になった彼の、功なり名をとげた後の、現在の姿というものが、ここにはある。 |
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■杉並映画村通信 022 1998年06月掲載
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連載 第022回 東條英機が主人公の映画 「プライド運命の瞬間(とき)」
「プライド運命の瞬間(とき)」という日本映画が、東映系の映画館で公開中である。東條英機が主人公の映画だ。最初のシーンは、彼の太平洋戦争開戦の時の演説である。ついで映画は一気に、日本敗戦の時に飛んでしまう。アメリカ占領軍に逮捕された彼は、A級戦犯として東京裁判で戦争責任を問われる。そして死刑に処せられる。 |
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■杉並映画村通信 023 1998年07月掲載
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連載 第023回 「アンラッキー・モンキー」
「アンラッキー・モンキー」という、三三才の俳優でもあるサブが、原案・脚本・監督を一人でやってのけ、脇役で出演もしている映画が面白い。これは彼の監督作品としては三作目の映画で、いずれも低額予算と短期間撮影の製作条件を逆手にとって、シンプルな映像表現を押し出した作品である。
一九九六年の第一作「弾丸ランナー」は、銀行強盗をやろうとした若者と、コンビニのレジでアルバイトをやっているロック・シンガーの若者と、ヤクザの組の若者の三人が、なぜか追いつ追われつで、道路を一直線にただただえんえんと走ることになってしまうという、疾走(しっそう)映画である。
一九九七年の第二作「ポストマン・ブルース」は、これまた三人の男が、自転車にのって疾走することになるという、疾走映画である。第三作の公開中の「アンラッキー・モンキー」も相棒と銀行強盗をやろうとした若者が、とんでもない事態にまきこまれ、ただひたすら道を疾走することになる、という疾走三部作の最新作である。 |
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■杉並映画村通信 024 1998年08月掲載
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連載 第024回 福祉映画祭 in NAGOYA
私は今「福祉映画祭 in NAGOYA」という催しに参加するため、名古屋にきている。車椅子の人達が主催している、今年で十五回目の映画祭である。第一日目は「おもひでぽろぽろ」「もののけ姫」などの上映日で、私はこれらのアニメ映画を作ったスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーと対談をした。
第二日目は柳沢寿男という、福祉施設のドキュメンタリー映画を営々と作りつづけている、ユニークな記録映画作家の日で、この人の作品を上映し、福祉施設の人や施設にかかわっている寺の住職たちと、この監督をまじえてディスカッションをおこなった。
今日はその第三日目、「友だちのうちはどこ?」「愛の黙示録(もくしろく)」、そして新作試写で「稚内発・学び座/ソーランの歌が聞こえる」などの各国映画を上映し、これら「こどもの映画」を作った人たちと、ディスカッションをおこなう。 |
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■杉並映画村通信 025 1998年09月掲載
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連載 第025回 9月公開「愛を乞うひと」
「愛を乞うひと」という、九月公開の日本映画を見た。下田治美の原作小説を、「月はどっちに出ている」の鄭義信がシナリオにし、「ザ・中学教師」「学校の怪談」「学校の怪談2」の、平山秀幸監督が映画化した、二時間十五分のかなり長い作品である。 |
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■杉並映画村通信 026 1998年10月掲載
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連載 第026回 「プライベート・ライアン」
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■杉並映画村通信 027 1998年11月掲載
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連載 第027回 「カンゾー先生」と「時雨(しぐれ)の記」
東映系公開の、一〇月の今林昌平監督の「カンゾー先生」と、一一月の澤井信一郎監督の「時雨(しぐれ)の記」は、ともに近頃珍しく入念に作られた日本映画、といっていいだろう。ところが問題は、入念に作られているから面白いのかというと、これが正反対なのが、何とも困ったところである。
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■杉並映画村通信 028 1998年12月掲載
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連載 第028回 山田洋次監督「学校V」
山田洋次監督の「学校V」は、最近の松竹としては観客のよくはいった映画であったようだ。同じ監督の以前の作品「学校」「学校U」は、いかにも山田洋次監督作品風の良心作ではあったのだが、描写が平板で甘かったり、テーマがきれいごとに扱われてしまっていたりで、もうひとつ現実的な説得力がない、というのが私の実感であった。 |
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■杉並映画村通信 029 1999年01月掲載
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連載 第029回 一月公開の新作「りんご」
イラン映画が日本でも公開されるようになって、その圧倒的な追力が、見る者に感動を与えている。宗教的な戒律に規制され、検閲の厳しいこの国の映画が、まだ貧しい自分の国の現実を、乏しい製作費で描いた作品が、なぜこういう強烈な力を持ち、見る者を圧倒するのか? |
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■杉並映画村通信 030 1999年02月掲載
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連載 第030回 フジテレビが製作した映画「踊る大捜査線 THE MOVI」
フジテレビが製作した映画「踊る大捜査線 THE MOVI」が、記録的に大ヒットしている。もともと連続テレビ・ドラマとして放映した、若者向けの少々おふざけ調の刑事物を、劇場用映画にしたものである。番組のテレビ放映後、テレビ用特番をまた別に三本作り、それと連動させて同じキャストと同じディレクターで、映画版を作ったものだ。 |
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■杉並映画村通信 031 1999年03月掲載
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連載 第031回 「スネーク・アイズ」
「スネーク・アイズ」というアメリカ映画を見て、いろいろと考えた。これは「キャリー」「アンタッチャブル」「ミッション・インポッシブル」などを作った、ブライアン・デ・パルマ監督の映画である。あのスリラー映画の名手アルフレッド・ヒッチコック監督の後継者は彼だ、などともいわれる人だ。
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■杉並映画村通信 032 1999年04月掲載
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連載 第032回 「シン・レッド・ライン」
ベルリン国際映画祭でグランプリを得たアメリカ映画「シン・レッド・ライン」を見た。第二次大戦中に日米両軍が死闘を展開したガダルカナル戦を、アメリカ側から描いた作品である。脚本・監督は「天国の日々」という特異な美しい映像の映画を作って以来、二〇年間沈黙していたテレンス・マリックである。原作小説これを書いたのは、映画「地上より永遠に」の原作者でもある、今は亡きジェームズ・ジョーンズだ。
アメリカ兵たちが、日本兵たちの陣地を襲撃する。日本人俳優たちの演じる半裸の日本兵たちが、応戦し、逃げまどい、次々と殺されていく。瀕死で「お前たちだって、死ぬんだ、必ず!」などと呪詛の言葉を吐く日本兵がいる。合掌して祈りつづける日本兵がいる。「キノカワ……」などと言って死ぬ日本兵がいる。故郷の「紀ノ川……」のことを最後の瞬間に、思い出してでもいるのか。
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■杉並映画村通信 033 1999年05月掲載
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連載 第033回 エリア・カザンへの非難
一九九九年のアカデミー賞授賞式で、ちょっとした事件が起った。老監督エリア.・カザンに、特別功労賞が贈られたからである。一九五二年、アメリカにマッカーシズムの赤狩りが吹き荒れた時、彼は非米活動調査委員会に召喚され、自分がコミュニストだった過去を告白し、コミュニストだとされる映画界の友人たちの名を列挙し、仲間を売った人物、として知られるからである。授賞式の会場の前には、反対のプラカードを持った人達が立ち、カザン監督授賞の時も立上って拍手した人は少数で、その他は坐って拍手していた多くの人達と、沈黙して腕を組んだままの少数の人達に分れた。この時のカザン監督の証言によって、その後長い間、映画を作ることができず、不運な人生を余儀なくされた人達が多かったことは、よく知られる。
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■杉並映画村通信 034 1999年06月掲載
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連載 第034回 ベルトルト・ブレヒトの場合
一九五〇年代のマッカーシズムの赤狩り旋風の中で、非米活動調査委員会に召喚されたのは、映画監督エリア・カザンだけではない。数多くの映画人や演劇人が、召喚された。チャールズ・チャップリンは、そのためアメリカを棄てて母国イギリスに渡り、さらにスイスに移住して晩年を過ごした。 |
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■杉並映画村通信 035 1999年07月掲載
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連載 第035回 「スター・ウォーズ」の新作が詰まらない! 話題のアメリカ映画「スター・ウォーズエピソード1/ファントム.メナス」が、何とも詰らない映画なので、参った。このシリーズ映画中最大規模の予算を投入し、第一作以来ジョージ・ルーカスが、自らが監督にあたった作品なのだが、出来あがりは目をおおわんばかりの惨状である。
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■杉並映画村通信 036 1999年08月掲載
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連載 第036回 映画「鉄道員(ぽっぽや)」大ヒットの意味は?
東映映画「鉄道員(ぽっぽや)」が、大ヒットしている。超満員の映画館で、中・高年齢層の観客たちが、文字どうり号泣していて、その声が場内に満ちる、という。正直なところこの映画は、シナリオも演出も撮影も、かなり不出来なものなので、これにはちょっとびっくりした。
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■杉並映画村通信 037 1999年09月掲載
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連載 第037回 「アイズ ワイド シャット」
スタンリー・キューブリック監督が、七〇才で急死する直前に完成させた、日本で公開中の遺作「アイズ ワイド シャット」は、不思議な面白さをもった作品である。 |
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■杉並映画村通信 038 1999年10月掲載
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連載 第038回 レンタル・ビデオのベスト10。
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■杉並映画村通信 039 1999年11月掲載
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連載 第039回 「金融腐触列島/呪縛」
「金融腐触列島/呪縛」という日本映画がヒットした。東映系で公開された映画だが、これは東映作品ではない。「失楽園」を作った角川歴彦(角川書店社長)=原正人(アスミック・エース社長)のラインによって製作された映画である。監督にはハリウッドで映画を学んだ、「KAMIKAZE TAXI」の原田眞人が選ばれている。 |
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■杉並映画村通信 040 1999年12月掲載
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連載 第040回 「M/OTHER」
「M/OTHER」という、一九九九年のカンヌ国際映画祭で国際映画批評家連盟賞を受賞した日本映画が、ミニシアターで全国公開中である。「マザー(母親)」と「アザー(他者)」をひっかけた題名で、監督は三九才の諏訪敦彦(すわのぷひろ)だ。
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■杉並映画村通信 041 2000年01月掲載
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連載 第041回 「御法度」をどう読み解く?
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■杉並映画村通信 042 2000年02月掲載
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連載 第042回 「雨あがる」と「御法度」と
黒澤明の遺作シナリオ(原作山本周五郎)を、旧黒澤組のスタッフ・キャストが集って映画化した「雨あがる」は、現在の日本の風潮を反映しているような時代劇であるのが、ちょっと面白い。上映時間一時間三一分の小品で、黒澤組のチーフ助監督だった小泉秦史が、初めて監督している。
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■杉並映画村通信 043 2000年03月掲載
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連載 第043回 老人が中古トラクターで大陸横断。「ストレイト・ストーリー」
現代アメリカの背徳や不条理を屈折した謎めいた映像表現で奇妙な映画にするのが得意だったディヴィッド・リンチ監督が、四年ぶりに不思議な新作「ストレイト・ストーリー」を作った。
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■杉並映画村通信 044 2000年04月掲載
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連載 第044回 必見の三本のアメリカ映画。「マグノリア」「グリーンマィル」「アメリカン・ビューティー」
アメリカ映画「マグノリア」は、同じロスアンゼルス近郊に住む十二人の登場人物総てを主人公として同時進行する、世紀末の現代アメリカの、おかしなおかしな混乱と焦燥を描いた三時間七分のドラマである。それに対して、もう一本のアメリカ映画「アメリカン・ビューティー」は、ある中流アメリカ人一家の家族たちに登場人物を小さく限定した、これまた世紀末の現代アメリカの、おかしなおかしな混乱と焦燥を描いた二時間二分のドラマである。
同じくこれもアカデミー賞各部門の侯補になっていた、「グリーンマィル」という、上映時間三時間八分の作品も、これまた複雑な思いで見た。「ショーシャンクの空に」という、久々の骨太のヒューマニズム映画を作った監督が、同じスティーヴン・キングの原作によって製作した第二作であるだけに、なおのこと考えさせられる。 |