1 うばうな介護、介護は全額公費負担で
●介護保険制度にたいする高齢者の決起
2000年に介護保険制度が導入されました。この介護保険制度にたいして、直接の当事者である高齢者をはじめとして多くの労働者民衆がやむにやまれぬ怒りの声をあげてきました。
杉並では00年6月に、「介護と福祉を要求する杉並住民の会」が作られました。これを機に大阪、広島、神奈川など各地に高齢者の運動が広がりました。01年12月にはこれらの運動が集まり、「介護保険に異議あり!
全国ネットワーク」が発足しました。私は、杉並住民の会では運営委員を、また全国ネットワークでは東の事務局長を務めさせてもらっています。
介護と福祉を要求する杉並住民の会 たたかいの歩み
◎介護保険料の03年値上げにたいして、ねばり強く杉並区との大衆的な交渉をおこない「都内で最低の値上げ幅」を約束させ、60円の値上げに止めさせる。
◎孤独死を防ぐための非常緊急連絡装置の設置を、住民の会の要求で、希望する人に設置させる。
◎24時間介護が必要な人の1カ月の利用料45万円(介護保険の限度を超えると、その分は全額自己負担になる)を、区との交渉により25万円に減額させる。
◎都心の大病院でないと治療できない高齢「障害者」に、近所の病院に通院しヘルパー利用の時間を減らせという福祉事務所の指導にたいし、当該の人と一体で区と交渉し、治療に必要なヘルパーの時間を支援費で確保する。
住民の会機関誌『かいらんばん』号外新年版(05年1月15日付)から
杉並住民の会の第4回総会(04年6月)は、次のような集会宣言を発しました。
「『老年よ、大志をいだけ! 老年よ輝け!』と呼びかけ、『介護と福祉を要求する杉並住民の会』をたちあげてから3年になります。高齢者自身の手で生きる権利をとりもどし、高齢者自身の団結で『命のネットワーク』を作ってきました。……
私たちをとりまく政治はどうでしょうか。年金制度や税制の改悪、医療制度の改悪、介護保険制度の改悪。すべてが、高齢者に負担をおしつけるものばかりです。……
高齢者の人権を奪う社会は、すべての人の人権をうばう社会です。だからこそ、私たちは、『いのち第一、福祉は権利』をかかげます。……
戦争に反対し、高齢者、『障害者』、すべての労働者が、誇りをもって生きられる社会をめざしましょう」
また、全国ネットワーク第4回総会(04年12月)の総会宣言は、実に力強いものです(下資料参照)。
杉並住民の会や全国ネットワークに結集する高齢者の皆さんは、じつに生きいきとしていて明るい。そして、たたかいのなかで実際に数かずの成果をかちとってきました。本当に真剣に立ち上がれば、社会保障の解体を食い止められる、それが実証されているのです。私は、こうした高齢者の皆さんの自己解放性に満ちあふれたすばらしいたたかいに接して、介護保険制度の廃止、社会保障制度解体阻止をともにたたかっていく決意を日々新たにしています。
〔資料〕 介護保険に異議あり! 全国ネットワーク第4回総会宣言
一、今、私たち高齢者は、たたかわなければ生きることすらできない時代のなかにある。私たちが納めた年金保険料は、政治家や官僚によって食い物にされたあげく、年金制度改悪によって、支給額は一方的に減らされた。来年度から、介護保険制度が全面改悪され、生きる支えであるヘルパーの利用が制限されるという。その翌年には、医療が改悪され、混合医療という金もちのための医療が導入されんとしている。
為政者は、自らの失政の責任をとるどころか、私たち高齢者を標的に「年寄りは、国に頼ってばかりいる」「必要もないのに医療や介護を受けすぎる」と悪罵を投げつけ、「年寄りは、医者にもかからず、介護も受けず、早よ死ね」と叫んでいる。
一、イラクでは、「人道支援」の名で、連日の爆撃と銃撃が行われ、尊い命が奪われている。全土が戦闘状態と化しても、「自衛隊のいるところは非戦闘地域」といい、日本人が人質とされても、「自衛隊は撤退しない」と国民を守る義務すら放棄した。
「戦争によって人命が失われるとき、人権が奪われる」という教えは、決して過去のことではない。今現在、私たちの眼前で繰り広げられている現実だ。
一、私たちは、夢と希望のもてる社会を築いたはずである。だが現実は、人の優しさや温もりはカネ儲けの手段となり、人の心はカネで売り買いされるものとなった。
若者は将来の夢を語ることもできず、働き盛りの中高年は、いつクビになり路頭に迷うかもしれない不安のなかにある。私たち高齢者は、日々生きる希望が奪われている。その一方で、大会社は創業以来の大儲けにわきたち、危機にたつゼネコンには、数千億円もの借金が棒引きされている。
何という恥ずべき現実であろうか。この理不尽さを前に、仕方がないとあきらめ、絶望に打ちひしがれるのは、この悪政に手を貸すものでしかない。
一、全国二千二百万高齢者よ。今こそ、私たちの歴史的使命を果たすときがきた。高齢化社会とは、私たち高齢者が社会の主人公として、歴史の現在と未来の決定権をもつ存在であることを示す言葉だ。長生きすることが迷惑とされ、余生を楽しむことが贅沢だと為政者からの批判によって、私たちはどれほど傷つき、悩みの日々を過ごしたことか。高齢者の生きる権利を否定する為政者に、今こそ怒りの鉄拳を叩きつけるときがきた。体力は衰えても、私たちには、長年培ってきた経験と知恵がある。何ものをも恐れぬ勇気がある。この社会を築き上げてきた責任において、子や孫に安心して暮らせる社会を引き継ぐことこそ、私たちの生き甲斐である。その足跡は、私たちの子や孫によって、代々語り継がれていくに違いない。
右、宣言する。
二〇〇四年十二月十二日
介護保険に異議あり! 全国ネットワーク第4回総会参加者一同
●介護保険制度は廃止せよ
では介護保険制度は、なぜ「充実」でも「改善」でもなく廃止でなければならないのでしょうか。それは、この制度が根本的な問題をかかえているからです。介護保険制度導入に際して、自民・公明・民主は賛成し、社民・共産・生活者ネットも反対しませんでした。制度の中止を求めたのは私たち都政を革新する会だけでした。制度実施以来のこの5年間の経験をとおして、私たちのこの立場が圧倒的に正しいものであったことが今日ますます明らかになっています。
介護保険制度が始まるまでは、高齢者施策は、国・自治体による高齢者福祉サービスと高齢者医療サービスのなかで行われてきました。これは、憲法第25条の「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」という規定にもとづいていました。「国民の権利、国の義務」という関係です。いわゆる措置制度です。財政的に言えば、国に一般予算からの支出を義務づけるものでした。もちろん、そうした建て前と実際の間には大きな落差がありました。ただ、労働者民衆の側は、その建て前を根拠にねばり強いたたかいをつうじて必要な介護を実施させてきたのです。
ところが介護保険制度は、この措置制度をやめて保険方式に転換するものでした。しかも、この介護サービスを提供するのはもはや公的な自治体ではなく私的な営利企業となりました。福祉サービスが商品化され、介護に市場原理が導入されたのです。これが「措置から契約へ」と言われることの中身です。その結果、次のようなさまざまな「弱い者いじめ」の事態を招いています。
一つは、高齢者を含め40歳以上の被保険者は、死ぬまで毎月保険料を支払わなくてはなりません。年金がごくわずかの人や無年金の人(住民税本人・世帯非課税の人びと)にとってもそうなのです。「介護保険料の徴収は保険に名を借りた大衆増税」と言われるのもこのためです。
二つは、介護保険料は、低所得の人ほど負担が重い逆進的構造になっています。国民健康保険は、自治体によっては最高と最低の差が約50倍もあるほど累進的です。これに比べて介護保険料は、最低と最高の差が3倍ほどしかありません。
三つは、介護を受ける対象は基本的に65歳以上の高齢者ですが、だれもが介護を受けられるわけではないのです。煩雑でかなりいい加減な要介護認定があり、そこで要支援・要介護と認められてはじめて介護を受けられる仕組みです。医療保険が「保険証1枚あれば医療を受けられる」のに比して、介護保険はまったく違います。そのため、実際に介護を受けられるのは、65歳以上の高齢者の1割ほどに限られ、9割の人にとっては掛け捨てとなります。だから、「保険あって介護なし」と言われるのです。
四つは、その1割の人びとにとっても、介護保険料を払い要介護認定を受けたからといって本当に必要な介護を無料で受けられるわけではありません。要介護度ごとに支給限度額が決められており、この範囲での介護サービスしか受けられません。もし、それ以上の介護・介助を望めば、その分は全額自己負担となるのです。
五つは、支給限度額内のサービスを受ける場合も、無料というわけではありません。保険料を払ってきたうえに、あらためて1割の利用料を支払わなければならないのです。たとえば、一番重い要介護度5の場合、支給限度額は月約36万円ですから利用料は月3万6000円となります。要介護認定を受けても、この利用料が払えないために、利用をあきらめたり抑えたりしなければならない仕組みなのです。
サービスの利用量が、実際どれだけの介護が必要かというところからではなく、本人もしくは世帯の支払い能力がどのくらいあるかによって決まるのです。要介護認定は行政処分という形でサービスの利用を上から制限するものですが、重い自己負担は利用者の側からサービスの利用を辞退・抑制するものとなります。実際、介護保険制度は、厚労省自身が自認しているように必要な介護量の3割しか使われないと想定されている制度なのです。
六つは、保険料滞納・未納の場合に、保険給付(つまり介護サービス)の一部または全部の差し止めなどがあるということです。国保加入者の場合は、介護保険料と国保保険料とを一括納付する仕組みです。介護保険料の負担増によって国保保険料の支払いが困難になると、保険証の取り上げや保険給付の差し止めといった制裁措置が課せられることになっています。他の社会保障法には見られない厳しい罰則規定が設けられているのです。その結果、介護保険料を払うことができない人は介護サービスを受けられなくなるばかりか医療からも排除されて、文字どおり命の危機に追いやられているのです。
●介護保険で社会保障制度の根幹崩す狙い
では、どうしてこのような制度が導入されたのでしょうか。それは、端的に言って、国が福祉や医療の公費負担分を減らし、それを保険料負担や利用者負担という形で労働者民衆に転嫁するためでした。
日本の戦後社会保障制度は、憲法第25条を基礎とし、措置制度のもとに行われてきました。このもとで、1961年には「国民皆健康保険制度」と「国民皆年金制度」が発足しました。また73年には、70年安保・沖縄闘争の大高揚も背景にして、70歳以上の高齢者の医療費無料化と年金給付額の引き上げ(物価スライドの導入)を実現しました。
ところが、70年代初めに高度成長が終わり、それ以後世界でも日本でも社会保障制度の拡大に歯止めがかけられるようになっていきました。とくに80年代の中曽根首相の時代には、高齢者の医療費無料制度が廃止され、健康保険の被保険者本人の医療費自己負担が導入され、また生活保護行政も締め付けられるようになりました。
90年代になると、「措置から契約へ」のスローガンのもと措置制度の廃止、国の責任の放棄という、戦後社会保障制度の根幹に手をふれる改悪が狙われるようになります。戦後社会保障では、所得に応じて払えるだけの額を払うとする「応能負担」原則でした。それが、サービスの量に見合った支払いをしなければならないという「応益負担」に転換させられていったのです。
それは最初、保育の領域で着手されたのですが、保育労働者や若いお母さん方の強い反対ではね返され、そこで高齢者福祉措置制度に狙いを定めた介護保険構想に向かっていったのです。その意味で、97年12月成立―00年4月実施の介護保険制度は、戦後社会保障制度の改悪・解体に向けた動きの一つの集約点であり、措置制度を廃止して戦後社会保障制度を原理的に大転換させるものでした。これこそが、それ以後の社会保障解体攻撃の突破口でありモデルとなったのです。
介護保険制度は、憲法第25条にもとづく国民の生存権にたいする国の義務・責任の放棄を意味し、福祉の領域における改憲を意味するものでした。こんなのが実施されると、社会保障は次々につぶされてしまう! 私が、杉並住民の会の皆さんとともに、一貫して「介護保険絶対反対・制度の廃止」を訴えつづけてきたのはこのためです。
●「介護の社会化」は真っ赤なウソ
介護保険制度は、「介護の社会化」という美辞麗句のもとに導入されました。しかし、この5年間が示していることはいったい何でしょうか。介護保険制度のもとでは、保険料を負担したうえでさらに利用料が払えなければ介護が受けられません。結局、自己負担・家族介護が激増するしかなかったのです。「介護の社会化」など大嘘(うそ)だったわけです。実際に、老人の孤独死や老老介護世帯の共倒れ、高齢者の自殺が目立って増えてきているではないですか。
このかんの東京23区の孤独死は、年間1600人を超えています。しかも、02年5月佐賀県鹿島市の事件をはじめ、03年3月岩手県山田町の事件、03年8月茨城県水戸市の事件、04年9月埼玉県新座市の事件、04年12月愛知県岡崎市の事件など、愛する家族をみずから手にかけるという老老介護殺人さえ相次いで起きているのです。
佐賀県鹿島市の「老老介護殺人」事件
「02年5月27日夜、佐賀県鹿島市に住む要介護1の84歳の男性が、要介護4の80歳の妻と車いすごと近くの川に飛び込んで心中をはかり、妻は水死したが、夫は死ぬことができなかった。妻は1月からリウマチなどの持病が悪化して入院していたが、4月中旬、『家に帰りたい』と訴え退院。自宅で業者の在宅介護サービスを利用していた。食事や入浴の介助、掃除や洗濯など1日5〜6回の身体介護と、週1回の通所リハビリ。妻の希望に応える形でつくられたケアプランは、在宅の要介護4の支給限度額(約31万円)をはるかにこえて、自己負担額が月20万〜30万円にものぼっていた。この高額の自己負担が2人に重くのしかかり、近所でも評判の仲むつまじい老夫婦を心中をはかるところまで追いつめた。検事側の論告でさえ『妻の病状と共に、介護費用の工面に不安を感じ、前途を悲観した』と述べざるをえなかった。承諾殺人罪に問われた夫にたいして、佐賀地裁は9月、懲役3年執行猶予5年の判決を言い渡した」
(02年9月17日付『毎日新聞』などより)
●介護保険制度の05年見直し絶対反対
5年間の事実が示しているものは、介護保険は制度自体を廃止するしかないということです。ところが、国はこのような事態を反省するどころか、05年に介護保険制度のいっそうの改悪を狙っています。
その第一は、要支援・要介護度1の人からヘルパー派遣を奪おうとしていることです。要支援・要介護度1の人は、在宅介護を利用している人の半分を占め、杉並区では8300人に上ります。政府は「家事援助介護が要介護者の自立を阻害している可能性がある」などと言っていますが、なんの根拠もありません。この人たちから介護を奪い、筋力トレーニングをやって介護保険にかからないで済むようにしなさいと言う。そのためなら少しは金を出しましょうと。
これにはみんな怒っている。保険料は取って介護はしない。ヘルパー派遣がうち切られたら、高齢者、とくに一人暮らしの人たちの孤独死がさらに広がるでしょう。週に1回か2回、掃除や買い物や食事づくりを手伝ってくれながら、高齢者が元気になるように話し相手になってくれる生活援助介護は、とても大切な介護なのです。
昨年10月の全国ネットワークの対厚労省交渉では、杉並住民の会の八木ケ谷妙子代表(91歳)ら生活援助介護を受けている当事者の高齢者が、追及の先頭に立ちました。「一人暮らしの高齢者にとって、週に1回来てくれるヘルパーさんの訪問介護がうち切られれば、孤独死になってしまう恐怖をたえず感じるようになる。ヘルパー派遣は孤独死を防ぐ切実な介護だ」と。実際に生活援助をしてもらっている当事者の方々です。厚労省はこの迫力の前に「必要な家事援助介護は今後も認めます」と言わざるをえなくなりました。
しかし厚労省は、軽介護度の高齢者からこのサービスを奪う意図を捨てたわけではありません。介護保険成立当初に強調していた「自分で好きなサービスを選ぶことができる」といった口実はもはや投げ捨てられています。
この問題は同時に、このかんヘルパーとして働いてきた訪問介護員(02年で全国21万人)から仕事を奪う攻撃です。ヘルパーさんら介護労働者は、「私たちの訪問がなくなったら、利用者の生活が維持できなくなるばかりか、生きる意欲までそがれてしまう」と怒りの声をあげています。彼らと協力して、なんとしてもこの改悪を押し返しましょう。
介護保険制度の05年改悪の第二は、施設介護について、入所を介護度3以上に限定したうえに、食事代や部屋代・光熱費の全額自己負担制を導入しようとしています。入所の限定によって、今入所している人の半数が施設介護を使えなくなります。また、厚労省の試算でも最低月3〜5万円ぐらいの負担増になり、低所得者は特養にも老健にも入所できないことになります。そもそも年金の削減、国保や介護保険料の引き上げのなかで、在宅の高齢者は食費まで削る生活を強いられつつあります。そのうえ、施設入所もできないという事態が強制されようとしているのです。
さらに、今回は見送られましたが、利用料を1割から2割に倍増する、保険料徴収年齢を「20歳から」に引き下げることなども検討されています。「20歳から」への引き下げについて、政府・与党は1月、今国会に提出する介護保険法改悪案の付則に、「09年4月からの実施」を明記することで合意しました。
●財政危機の真の原因は大企業救済と軍事費

全国ネット、杉並住民の会の高齢者が厚生労働省と交渉(2004年10月14日 参議院議員会館)
国は今回の改悪の理由について、「予想以上に介護サービスの利用が多いため、介護保険財政が危機に陥りつつある」としています。しかし、もともと憲法第25条に明記されているように、介護を含む社会保障・福祉は国の義務です。この国の義務を投げ捨て、保険料徴収や利用料などという形で労働者民衆の負担によって介護財政をまかなおうという介護保険制度の仕組みそのものに根本的な問題があるのです。「介護サービスの利用が多いから、新たな負担を求める」という国の言い分やそうした改悪を認めるなら、「保険あって介護なし」はいよいよ現実のものとなります。私たちは、今回の改悪に絶対に反対するとともに、介護保険制度自体の廃止に向けてたたかわなければなりません。
国は、介護・年金・医療などの改悪を進める際に、「少子高齢化社会の到来による財政の逼迫(ひっぱく)」ということをたえずあげています。しかし、これはまったくのデタラメです。
では、国家財政の危機の本当の原因は何なのでしょうか。それは、90年代に、大企業の救済のために総額140兆円もの景気対策がとられ、銀行救済のために38兆円弱もの公的資金が投入されたからです。国の社会保障費が19兆円弱(03年度)だから、その何倍ものカネが使われたのです。
しかもその中で、所得税の累進構造を解体し、高所得者への大幅な減税を行ってきたのです。20年前には最高税率70%で15段階だった所得税の累進税率は、99年改定で最高税率37%で4段階となりました。さらに、大企業にたいする大規模な法人税減税も繰り返し行われました。その結果、税収は90年度の60兆円から03年度の43兆円まで大きく縮小してしまいました。一方で膨大な国債も発行されました。それもこれも、すべて大銀行・大企業の利益のためです。
また、国家財政の危機は、戦争放棄の憲法9条がありながら世界第2位にまで膨張している巨大な軍事予算によっても生みだされています。それは03年度で軍人恩給含め6兆1000億円にも上ります。しかも、イラク派兵の泥沼によってますます拡大していこうしています。
ここから見えてくるものは、社会保障のような労働者民衆にとって当然で切実な分野で支出を削りこみ、大銀行や大企業、そして軍事に膨大な財政を投入する国の姿です。「少子高齢化社会になったから、持続可能な社会保障のために、民衆の負担を増やし給付を削減する必要がある」というのは、問題をすり替えるまったくのウソっぱちです。私は、大銀行・大企業や戦争のために膨大な税金を投入する腐りきった政治をやめさせ、必要な人に必要な社会保障を実施する新しい政治に切り替えていかなければならないと決意を固めています。
2 戦争ではなく社会保障を
今、介護保険制度の問題を見ましたが、このかん社会保障領域の削減と解体の攻撃が目白押しとなっています。皆さんもよくご存じのように、02年には医療改悪が、04年には年金改悪が、労働者民衆の大きな反対の声を押し切って成立しました。そして、この05年には介護保険制度の改悪が、06年には医療制度の再改悪が予定されています。
このように社会保障領域における著しいカットをどんどん進める一方で、07年にはなんと社会保障や福祉を口実に消費税の大幅引き上げも狙っています。絶対に許せるものではありません。
●必要な医療は万人の権利
まず、02年7月の医療改悪ですが、以下のような内容でした。
現役世代にとっては。
@健康保険の患者本人の負担が2割から3割に引き上げられました。50%もの負担増です。健康保険法が実施されてから長らく医療費の本人負担はゼロでしたが、それが84年に1割負担となり、98年に2割負担となったばかりでした。
A高額療養費の自己負担額も大幅に引き上げられました。
B保険料の算定基準を、月収ベースから一時金を含めた年間総収入ベースに変えることで、保険料を引き上げました。
高齢者にとっては。
@外来の月額上限制を廃止して、一律1割負担(一定以上の所得者の場合は2割負担)としました。
A自己負担額の引き上げです。これは外来についても入院についても大幅なものです。
B老人医療の対象(老人保健対象年齢)を、現行の70歳以上から75歳以上へと段階的に引き上げることを決めました。
同年には診療報酬も改定され、混合医療という形での自費診療部分の大幅増加、入院費自己負担分の大幅増加となりました。これらともあいまって、戦後医療制度は根本から破壊されつつあります。しかも医療改悪は、介護保険でのあり方をモデルとして行われているのです。
戦後の医療制度・皆保険制度では、保険証一枚あれば医療を受けられたのです。それが、金のないものは病気になっても医療を受けられなくなりつつあるわけです。いわばアメリカ型の医療制度への転換が始まりました。そして、これが06年の医療再改悪においていっそうおし進められようとしているのです。私たちは、「必要な医療は万人の権利」を掲げ、介護と同様に命の問題に直結する医療改悪に強く反対してたたかいます。
●年金は企業と国で全額負担せよ
次に04年6月に成立した年金改悪です。
すでに年金制度においては00年に、諸施策合わせて公的年金の給付額を総額20%も削減する大変な改悪が行われていました。それからわずか4年後の04年、抜本的な改悪に手がつけられたわけです。その中身は次のようなものです。
@年金保険料の引き上げです。国民年金も厚生年金も保険料が17年度まで毎年引き上げられていきます。
A給付の削減です。これは、年金給付水準を2023年度以降、モデル世帯(夫婦二人、40年間拠出、妻は専業主婦)を例にとると現行59・3%から50・2%へと大きく引き下げるものです。
Bしかも、給付抑制装置としてマクロ経済スライドが導入されることになりました。「給付水準や少子化の進行を勘案する」として、政府の都合次第で年金給付を抑制することができる制度です。Aであげられたような、引き下げられた水準の年金給付さえまったく保障されなくなりました。
Cさらに、年金財源における「国庫負担率の引き上げ」と称して、07年の消費税大増税を明記したことです。
この改悪は戦後年金制度の根幹を破壊するものです。とくに1972年の年金スト以来の労働者民衆の獲得物を全面的に奪い去るものです。このような年金改悪を私たちは絶対に認めることができません。年金とは、端的に言えば「賃金のあと払い」です。それを国・政府の都合で勝手に切り下げられていいはずがありません。しかも今、労働者民衆が長年積み立てた公的年金の積立金は約170兆円、給付額にして5〜6年分の蓄えがあるのです。
じつは、この給付切り下げの影響を最も強く受けるのは現役世代です。このかんの試算によれば、いま年金保険料を払っている世代は、払う額よりも受け取る額のほうが少なくなることが明らかとなっています。
仕事から離れた高齢者も現役世代も同じ労働者です。世代を超えた労働者の団結で年金改悪を吹き飛ばしましょう。私たち都政を革新する会の要求は、「年金は労働者人民の生存権」「年金は企業と国で全額負担せよ」です。年金制度抜本改悪の白紙撤回を求めて、皆さんとともに今後ともねばり強くたたかいつづけます。
3 消費税の大増税に絶対反対
昨年12月に政府は、05年度に個人所得税の定率減税を半減する増税を決めました。定率減税とは、「景気対策」として99年度に導入されたもので、所得税額の20%(上限25万円)と個人住民税の15%(同4万円)を控除する制度です。今回は半減ですが、06年度全廃が前提となっています。
05年度の負担増は、定率減税にとどまりません。すでに決まっている税制改定で、配偶者特別控除(上乗せ部分)の廃止が05年6月から個人住民税にも反映されます。これに年金保険料の引き上げや雇用保険料引き上げが加わり、総計すると05年度の家計の負担は1・1兆円増えます。06年度では、前年度に比べさらに2・1兆円の負担増となるので、2年間で計3・5兆円の負担増です。消費税を1%上げると税収は約2・5兆円増えると言われますが、それをはるかに上回る大増税にほかなりません。
また、今回の税制改定では、65歳以上の高齢者や就労期間が1年に満たないフリーターなどへの課税を強めることが決定されています。
このような増税の当面のヤマが、07年4月からの消費税率大幅アップです。日本経団連の奥田会長は、「消費税率を18%に上げる」ことを繰り返し提言しています。政府・財界は06年から07年にかけて、9条改憲と消費税の大増税をいっきょに強行するつもりです。
こうしたすさまじい大衆収奪によって、大銀行・大企業のための政治、戦争のための政治を強めようとしているのです。戦争と福祉切り捨ては一体です。私は、「戦争ではなく社会保障を」の要求を掲げて、労働者民衆の皆さんとともに、その先頭に立ってたたかいます。
4 石原都政の福祉切り捨てにストップ!
石原知事は、国が社会保障制度解体の政策を本格化させ、介護保険制度を導入した時期、99年4月に登場しました。一言で言って石原都政は、戦後社会保障制度の解体という領域でも、国の動向に密接にタイアップしつつ、国がやろうとしてもできないことを次つぎに強行しています。首都は国の政治・経済・社会の重心ですから、国の動向をもはるかに上回る石原都政の社会保障解体・福祉切り捨ては、国の社会保障解体に大きなはずみをつけるものとなっているのです。石原知事こそ、日本の社会保障の最大の破壊者にほかなりません。
●福祉切り捨ての先導役
表1 都立福祉施設の縮小・廃止・民間移譲
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施 設
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報告書で出された内容
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| 特別養護老人ホーム |
板橋ナーシングホーム
東村山ナーシングホーム |
廃止に向けて順次規模の縮小 |
| 養護老人ホーム |
板橋老人ホーム |
廃止 |
| 東村山老人ホーム |
順次規模を縮小 |
吉祥寺老人ホーム
大森老人ホーム |
早期に民間移譲 |
| 軽費老人ホーム |
むさしの園 |
早期廃止 |
| 都外児童養護施設 |
船形学園
八街学園
勝山学園
片瀬学園
伊豆長岡学園
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規模を縮小し漸次廃止 |
| 都内児童養護施設 |
中井児童学園
品川景徳学園
石神井学園
むさしが丘学園
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民間移譲 |
| 知的障害者更生施設 |
七生福祉園
千葉福祉園
八王子福祉園
小平福祉園
日の出福祉園
町田福祉園
練馬福祉園
調布福祉園
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小規模施設は順次民間移譲大規模施設は規模を縮小し民間移譲 |
| 知的障害児施設 |
七生福祉園
千葉福祉園
東村山福祉園
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規模を縮小し民間移譲 |
| 身体障害者療護施設 |
日野療護園
多摩療護園
清瀬療護園
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民間移譲 |
| 身体障害者更生施設 |
視覚障害者生活支援センター
聴覚障害者生活支援センター
清瀬園 |
民間移譲 |
| 身体障害者授産施設 |
練馬就労支援ホーム
大泉就労支援ホーム
清瀬喜望園
用賀技能開発学院 |
廃止または施設種別変更や統合 |
都立福祉施設改革推進委員会報告書(02年6月)などから
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石原知事が登場してさっそく行ったのは、次のような福祉切り捨てでした(00年2月)。
・シルバーパスは全面有料化
・老人医療費助成は06年で廃止
・寝たきり老人手当=老人福祉手当は03年で廃止
・心身障害者医療費助成は本人負担の導入
・重度心身障害者手当は所得制限導入
・心身障害者福祉手当は所得制限導入
・ひとり親家庭医療費助成は本人負担の導入
・乳幼児医療費助成は本人負担の導入
・児童育成手当は所得制限強化
まさに、高齢者・「障害者」・女性(と子ども)を狙いうちにしたものです。また、都立の福祉施設をほぼ全面的に廃止・縮小、あるいは民間移譲しようとしています(表1 右)。石原都政が高齢者福祉・「障害者」福祉・児童福祉の解体にやっきになっていることがよくわかります。この三つこそ、社会福祉制度の中心になってきたものです。
これらはすべて、60年代から70年代の3期にわたる美濃部都政下で作られたものでした。美濃部都政は、国に先駆けて数多くの福祉政策を実施しました。これらの施策・制度は都政で率先して実施され、他の革新自治体でも順次採用され、のちに国政レベルでも実現されていきました。この首都の成果は、美濃部都政後も、少しずつ削られながらも基本的に維持されてきました。東京都の福祉が全国的に言っても高い水準にあったのはそのためです。
ところが石原都政はこのかん、こうした施策・制度に憎しみをもって襲いかかっています。美濃部都政とはまったく逆に、国政レベルでの社会保障解体・福祉切り捨ての先導役をもって任じているのです。石原知事らが呼号する「東京革命」とはまさにそういう内容にほかなりません。
石原知事は、1期目に府中の「障害者」施設を視察して「あの人たちに人格はあるのか。安楽死なんかにつながるんじゃないか」(99年9月)とか「子どもを生まなくなったババアが生きているのは悪しき弊害」(01年11月)と発言しました。石原知事は、最も福祉が必要な「障害者」や高齢者、また女性に向かって平然とこのようなことを言い放つ、そういう感性と思想をもつ人物=ファシストなのです。重要なことは、このような言葉が、単なる一時の暴言にとどまるものではなく、実際の石原都政として強行されているということです。
「障害者」は70年以降、収容施設への隔離に反対して、「すべての『障害者』が人間らしく、あたりまえに生きられる地域生活の保障」を求めてたたかってきました。このかんの「措置から契約へ」のもとで、「障害者」の介助制度は支援費制度という契約制度へと転換され、国はさらに介護保険制度へ統合しようとしています。「障害者」の反対によって05年の統合は見送られました。しかし、支援費制度を実質上介護保険制度と同じ仕組みに変える「障害者自立支援給付法」(仮称)が、05年国会に提出されようとしています。これにたいして「障害者」の怒りとたたかいが噴出しています。
東京は、「障害者」が地域自立生活を切り開いてきた先進地域です。私は、たたかう「障害者」の皆さん、杉並住民の会などたたかう高齢者の皆さんと固く連帯して、福祉切り捨ての石原都政に真正面から立ちはだかります。
●医療では都民の命を市場原理に投げ出す
石原知事は、知事就任直後に「公共事業なんてみんな民営化したらいいんだ」「病院も含めて、民営化できるものはすべて民営化を考える」と発言しました。社会保障・福祉分野でも、石原都政のキーワードは民営化、つまり民間資本への丸投げ、ないし市場原理の全面的導入です。
都の医療政策は、国の政策のはるか先を行く都立病院の廃止・統廃合・民営化です。「都立病院改革マスタープラン」(01年12月)による再編が現在進行中です。これがすべて実現すると、16カ所あった都立病院は8カ所になってしまいます。
病院が公社化・民営化されると、何よりも職員が大削減されます。ともに300床を持つ三つの病院を比較してみましょう(表2)。大久保病院(新宿区)は04年4月に公社化されましたが、この数字はその少し前のものです。一方、東部地域病院(葛飾区)、多摩南部地域病院(多摩市)はすでに保健医療公社の運営になっています。公社化による職員の激減が歴然と現れています。
また、区移管が内定している都立豊島病院については、指定管理者制度の導入が狙われています。指定管理者制度とは、公の施設を民間資本に管理させるもので、事実上の民営化です。福祉施設では、建設中の都立東部療育センターへの同制度の導入がすでに決まっています。都立病院の統廃合では、PFI的手法(民間資金による社会資本整備の方法)もとられようとしています。資本進出の自由を認め公有地無償貸与の特権を与えて、進学塾やピアノ塾、理美容・ファッション・衣料品店など民間資本を招き入れようとしているのです。今や都の病院の土地と空間は、民間資本の好き放題にされつつあります。
表2 3病院の職員数比較(100床あたり)
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医師数 |
看護師数 |
職員総数 |
| 大久保病院 |
16・0 |
74・3 |
123・7 |
| 東部地域病院 |
14・0 |
59・0 |
92・3 |
| 多摩南部地域病院 |
13・3 |
60・7 |
95・3 |
●医療事故を導く苛酷な労働強化
このような統廃合・民営化のうえで、第2期石原都政はさらに「都立病院改革実行プログラム」(03年1月)を出し、「コスト削減・経営改善」を促進するとしています。都立病院に民間企業の経営方式を持ちこみ、民間並みの労働強化を進めようとしているのです。これはすでに、先取り的に進行しています。石原都政の改革計画で、墨東病院はER(総合緊急診療科)を持つ病院として位置づけられました。しかし、この墨東病院のERでさえ配置された人員があまりにも少なく、あまりの低賃金・過密労働のためその人員数さえも確保できていない。その結果として患者の待ち時間が4時間にもなるという事態が、開設直後から明るみに出ていたのです。
医療現場では、医療事故と隣り合わせのギリギリの労働強化が強いられています。医療事故はすべて労働者に責任転嫁されます。医療労働者にとっても医療を受ける患者(労働者)にとっても、石原都政とその医療政策に対決することなしには生きていけなくなっているのです。
石原都政における医療・都立病院政策は、医療費抑制・自己負担大幅増など国のこのかんの医療改悪とぴったりタイアップしています。いや、さらにその先を行く「東京発の医療改悪」にほかなりません。アメリカ型医療への転換を強く促すものです。
適切な医療をきちんと受けられることは万人の権利です。私は、石原都政のもとで苛酷な労働を強いられそれと懸命にたたかっている医療労働者と連帯して、また石原都政の医療政策によって命を危険にさらされている患者の方がたと連帯して、いのちと健康を守るためにたたかいます。
●子どもの人格・権利を踏みにじる認証保育所
石原知事は1期目に、民間経営の認証保育所の設置を重点策としてうち出しました(01年「福祉改革推進プラン」)。これは東京都独自の制度で、従来の公的・準公的な認可保育所とは性格がまったく違います。「駅前設置」「必ずゼロ歳児保育」「13時間以上の開所」を謳い文句にしたものです。
しかし、この認証保育所には、数かずの重大な問題があります。
@園庭がなくてもいいとしている。
A子ども一人あたりの施設面積は2・5平方bでいいとしている(認可保育所は3・3平方b)。
B資格者は職員の6割でいいとしている。
いずれも、50年以上も前に定めた保育の最低基準を大幅に下回るものです。これでは、子どもは単なる預かり物でしかありません。児童福祉という観点はみじんもありません。そもそも石原知事は、「スパルタ教育」で何人もの生徒を死に追いやった戸塚ヨットスクールを今でも賛美している人物です。子どもの人格・権利をつゆほども認めないのが認証保育所なのです。
しかも、わずかな補助金増と人員増で保育時間を13時間に引き延ばしているのです。認可保育所では11時間開所が基本です。保育労働者にはすさまじい労働強化となります。
また保育料は、認可保育所の2倍から3倍です。杉並区では認可保育所の平均保育料は、2万300円です。ところが認証保育所では、安くても4万3000円、高いところで12万円というところもあります(1日11時間、週6日預けた場合)。これでは、利用できる人びとも限られます。
保育の実施基準(「保育に欠ける」要件)――児童福祉法施行令第9条の5より
@昼間労働することを常態としていること
A妊娠中であるかまたは出産後間がないこと、
B疾病にかかり、若しくは負傷し、または精神若しくは身体に障害を有していること、
C同居の親族を常時介護していること、
D震災、風水害、火災その他の災害の復旧にあたっていること、
E前各号に類する状態にあること
もともと保育は、児童福祉法第24条の「市町村は……児童の保育に欠けるところがあると認めるときには、それらの児童を保育所に入所させて保育する措置を採らなければならない」にもとづいて行われてきました。つまり、保育も措置制度であり、「国民の権利、国の義務」という関係があるのです。
ところが90年代半ばに政府は、直接入所契約の方式を導入する動きを強めました。措置制度をやめて、市場原理を導入するものです。94年の「今後の子育て支援のための施策の基本方向について(エンゼルプラン)」では、「保育所制度の改善・見直し」「駅型保育、在宅保育サービスの等の育成・振興」が盛りこまれました。97年の児童福祉法改悪では、「措置」の言葉は削られました。しかし、市町村が保育を保障する義務をもち、公費で負担する義務を負うことなど、保育制度の根幹は維持されてきました。全国的な運動の成果でした。
国はその後も、保育制度の規制緩和と企業参入の促進など改悪を試みます。しかし、反対運動によって必ずしも思うようにはいきませんでした。それに業を煮やし、保育における民営化を一気に進めようとしたのが認証保育所制度だったのです。
●24時間型保育所は大資本の要求
しかも石原都政は2期目になって、本当の狙いをあからさまにしてきました。04年5月の「東京都児童福祉審議会意見具申」では、次のような内容がうち出されています。
@「保育に欠ける」要件を見直し、昼間労働者向けの保育から24時間型都市構造の労働者向けの保育をめざす。
Aこれまでの認可保育所も、福祉事務所を経由しないで直接契約できるようにする。
B私立の認可保育所への都の資金援助を停止する。
まず@は、労働者、とくに女性労働者を夜勤・深夜労働にますます駆り立てるものになることは疑いありません。同時に、保育労働者に深夜労働を強制するものです。
次にAは、認証保育所だけでなく認可保育所も契約制に転換させるものです。児童福祉は全面解体されることになります。Bとあわせて保育料を急騰させるのは火を見るより明らかです。お金がなければ保育園に子どもを預けることもできなくなります。
またBで言う「都の資金援助」は、私立の認可保育所で働く保育労働者の賃金を支える役割をもってきました。これが廃止されると、保育料が急騰します。保育労働者が長年守りぬいてきた賃金や労働条件も一気に切り下げられることになります。それにともない、子どもの保育環境も必ず劣悪化します。絶対に許すことはできません。
一つ典型的な例があります。東京都三鷹市では、市が建設した保育園を教育出版大手のベネッセコーポレーションに委託しました。保育士の年収は250万円台で、雇用契約は園長も含めてわずか1年です。都の補助をうち切ると、そういう保育園ばかりになるでしょう。この種の保育園では、保育士がどんどんやめてたえず入れ替わるという実態があり、争議の多発職場にもなっています。
石原知事のブレーンが書いた『福祉改革 石原都政の挑戦』(都政新報社)では、「公立保育園では年功賃金だから、どうしても人件費は高くなる。それに較べると、ベネッセの職員は1年更新の契約社員だから、安くできる」(234n)などと平然と言われています。しかし、保育労働者が、他の分野の労働者とともに、雇用期間をきちんと保障され、人間らしく生活していけるだけの賃金を受け取るべきなのはあまりにも当然ではありませんか。
2期目の石原都政は、1期目における認証保育所の導入に続いて、いよいよ保育の全面的民営化・市場化に手をつけようとしているのです。認証保育所はいわばその突破口だったわけで、これからが本番です。
石原知事のこうした保育政策は、じつは資本家の要求にぴったりとそったものです。日本経団連の奥田会長は、03年1月に出した奥田ビジョン(「活力と魅力あふれる日本をめざして」)で、安上がりの女性労働力をもっと動員すること、労働者を非正規雇用にたたき落とすこと、3兆円産業と言われる保育産業を資本の利潤の対象とするべきことなどを提言しました。それを、国の次元で実行しているのが小泉「構造改革」です。その動向をはるかに上回り、資本家の要求をストレートに実行しているのが石原知事なのです。
●子どものすこやかな成長を保障する公的保育の充実を
保育の問題については、しばしば「利用者のニーズ」ということが言われます。しかし本来、深夜労働、とくに女性の深夜労働が資本と国によって拡大されつつあり、それがますます促進されているという現実そのものが問題です。労働者の団結とたたたかいで、はね返さなければなりません。
「産む性」としての女性にとって、生理休や産休、深夜労働の原則禁止(母性の保護)はきわめて大切なことです。国や都は、「少子高齢化社会」をひんぱんに口にします。しかし実際は、労働者が子どもを生み育てられない現実をつくりだしているのは国であり都であり、それを牛耳っている大資本なのです。
親が子どもを晩の7時を過ぎても保育所に預けておかなければならないという「利用者のニーズ」なるもの。それは、じつは資本や国・都によって強制されているのは明らかです。その根本問題は女性の深夜労働にあるわけですが、かりに百歩譲ってそのような「利用者のニーズ」があるというなら、その負担はほかならぬその原因を作っている資本や国・都が負うべきではないか。労働者民衆が夜遅くまで子どもを預けておかなければならない現実をつくり出しておきながら、今度はそういう「利用者のニーズ」があるからといって、保育の場に資本が全面的にのりこみ、ボロもうけの対象にする。こんなことはとうてい許せません。
労働者民衆は、「児童の保育を受ける権利を守ろう」「公的な保育を充実させよ」と要求すべきなのです。
●ファシスト石原知事を倒そう
今、小泉政権は、大資本の意向にそって構造改革をおし進め、介護・年金・医療・保育を軸にした社会保障の解体、消費税の大増税に向かっています。石原都政は、自治体の施策によってその痛みを和らげようとするどころか、小泉「構造改革」とタイアップしつつ、その水先案内人として社会保障と福祉の全面的切り捨てへ突進しています。
それを石原知事は、改革者のポーズをとり、「何かやってくれるかもしれない」という都民の幻想をあおりながら、また実際に国を「批判」したり「国対地方」の対立をもしばしば演出して実行しています。しかしやっていることは、国をはるかに上回る、大資本の要求のストレートな実行そのものです。これこそまさに、ファシストのやり方にほかなりません。
しかし、私たちが石原知事による社会保障解体・福祉切り捨てにたいして力強いたたかいをつくりあげることができるなら、国の社会保障解体の動向に大きくストップをかける力となることもまた明らかです。実際、先述したように、高齢者のたたかいは国・厚労省を確実に追いつめています。労働者民衆が立ち上がってたたかえば、国や石原都政の仕打ちを必ずうち破ることができます。
私はすべての労働者とともに、とくに介護・医療・保育を担う労働者とともに、また杉並住民の会をはじめとするたたかう民衆の先頭に立ち、「うばうな介護」を掲げて断固たたかう決意です。 |